迫田さんは、ずっと走り続けてきた人だ。
契約社員や派遣社員として平日週5日、
事務の仕事をこなし、
残りの土日2日間は2時間程度の研修講師。
その働き方を15年続けてきた。
しかし、
2年前研修講師の仕事の更新時に講師を辞めることにした。
土日は完全にお休み。
60歳を前に少しはペースを落としたほうがいい…と考えたようだ。
そう思ったはずなのに、休みに仕事の依頼が入ると、つい「大丈夫ですよ」と受けてしまう。
それがクセになっていた。
そんな迫田さんが、先週ついに体調不良で
派遣の仕事を休んだ。
朝、布団の中でぼんやり考えた。どうしよう。
今日のタスク、誰に引き継げばいい?
講座の準備、間に合うかな?
自分の体より、まず仕事の心配が浮かんだ。
その瞬間、胸の奥がざわっとした。
私、仕事を回しているつもりで、実は仕事に回されているんじゃない?
休むと罪悪感が出る。
誰かに迷惑をかける気がする。
でも実際は、派遣の事務の仕事は、私が休んでもちゃんと回る。
引き継ぎの仕組みもあるし、誰かがカバーできるようになっている。
ただ、講師の仕事は違う。
代わりの人がいない。
私が休めば講座そのものが止まってしまう。
だから休めない——これは事実だった。
問題は、ここから先だ。
「代わりがいないから休めない」が積み重なって、
どんな状態でも“頑張らなきゃ”が当たり前になっていたこと。
横になりながら、ふと気づいた。
講師の仕事が休めないのは仕方ない。
でも、“だからこそ”私が整えておかなきゃ続かない仕事なんだ、と。
そして同時に思う。
「じゃあ、派遣の仕事で休んでいい」とか、
そういう極端な話じゃない。
大事なのは、
〈休める仕事〉と〈休めない仕事〉の違いを自分でちゃんと理解して、
そのバランスを考えながら働くことなんだと思った。
話していくうちに、迫田さんは静かに言った。
「たぶんね、私、まだ走れる私にしがみついてたんだと思う」
走れる=働ける
働ける=価値がある
そんな考えが、体の奥に根づいたままだった。
でも、本当は違う。60代のキャリアは、
むやみに走るより、ペースを整えることのほうがずっと価値がある。
無理に詰め込まず、続けられる形に切り替える。
自分の状態を把握し、整えて、心と体の余白をつくる。その調整力こそ、長く働くための一番の武器になる。
帰り際、迫田さんがふっと笑った。
「これからはね、予定を埋めるんじゃなくて、
整える人になるわ」
その笑顔には、もう「走らなきゃ」の焦りはなかった。
歳を重ねるほど、前に進む力より、大事なのは整える力。迫田さんの姿が、そのことを静かに教えてくれた。