忘れもしない2023年6月23日金曜日。

毎朝6:30に起きる長男が7時になっても起きてこないので、彼の部屋へ起こしに行きました。

疲れているのかな?と思いましたが、
遅刻しそうな時間だったので、身体を揺すりましたが、なかなか起きません。

少し大きな声を出して、
「起きて!遅刻するよ!」と何度か声をかけると
いつも温厚な長男が、「もう無理なんだよ!限界なんだよ!」と震えた声で、小さい子どものように泣き始め、

間もなく、身体の震えが止まらなくなり、ベッドの柵が壊れました。
癲癇のような身体の震えで、そんな彼を見るのは初めてで、とても驚きました。

友人の内科医に、直ぐに動画撮影をして送り、返信は
「ミオクローヌスの症状と似ているから神経内科を受診してみて。」

直ぐに携帯電話を片手に[ミオクローヌス]と検索しました。
[進行すると運動機能や認知機能が低下し、寝たきりになってしまうこともある。CJDの発症様式と病型にもよるが、通常は発症後4カ月から2年で死に至る。]とも出てきました。

医学知識がないので、検索結果の文字に久しぶりに冷静さを失いました。
「神様、もし命を落とす病なら、わたしの命を喜んで差し出すのでどうか我が子を救って下さい。」と何度も祈りました。

当日、神経内科を受診し、
お医者様から「これは、精神的なものです。精神科へ受診下さい。」と言われ、
少しほっとしましたが、その足で精神科へ受診すると、鬱病の診断でした。

身体の震えを止める薬を処方してもらいましたが、先ずは
長男とゆっくり話して、治療は東洋治療の選択を取りました。

帰宅後、彼とゆっくり話をしました。
「ママ、何故、僕たちは目の前のテストや、勉強で測られないといけないのかな?あと数年で成人なのに、どうして政治やお金の話を学校の仲間と話すことをタブーとされているんだろう。正直、凄く生きにくい。」

彼はアメリカから帰国後、4科目受験で中学受験に挑みました。
第一志望はご縁がなかったものの進学校の中高一貫の男子校へ入学後、特進クラスで上位の成績でした。
そんな彼が、日本の教育制度に疑問を感じ、生きづらさを感じていたのです。

身体が震えて号泣するまで彼の異変に気が付けなかった、
わたしは母として恥ずかしく申し訳なくなり、彼の足を摩りながら
「こうなるまで、気が付いてあげられなくて本当にごめんね。」と涙を流しながら伝えました。
彼は少し微笑み、「いいよ。」と答えました。

普段、彼のピアノの音色を聴きながら、家事をしたり、仕事をすることが大好きだったので、彼の元気がなくなり、その音色が家の中から聴こえなくなり、当たり前の幸せを痛感することになりました。

積極的に、勉学に励み、ピアノやギターを弾いていた彼が、死んだ魚のような目で壊れた柵のベッドの上でiPadを片手に一日中、YouTubeを見続ける日々が続きました。

英語塾の日、英語は好きだから行ってみると言うので外出しましたが、
先生から「まだいらしていません。」と連絡が入り、慌てて探しに行くと、近所の公園で遠くを見ながらベンチに座っている彼を見つけました。
「⚪︎⚪︎、大丈夫?帰ろうか?」と伝えると、また震え始め、
「行った方がいいことは分かってるから行こうとするんだけど、足が止まって行けない。家に帰るのも申し訳ないからできない。」

「やめてもいいんだよ?心が元気になるまでやめてみようか。」

「僕が周りの子みたいに成績が良い息子じゃなくて良いの?」

わたしは彼の頭を撫でて、
「どんな⚪︎⚪︎でも、ママの自慢の息子だし、生きているだけで、ママは毎日幸せだし、愛してるいるよ。」と伝えました。
それから、20cmも身長の高い息子と久しぶりに手を繋いで帰りました。

後日、東洋医療のクリニックへ足を運び、アメリカへ検査データーを送り、
先生に「日本ではこんなに健康な子どもが鬱病と診断されてしまう。息子さんは鬱病じゃないですよ。ゆっくり元気になるのを待ってあげましょう。」

彼が眠れない日は、ふたりで久しぶりにゆっくりベッドに寝転んで何時間も話をしました。

こんなことがないと、こんなにゆっくり話をできなかったと思うと、なんだかこの時間もとても愛おしく思えてきました。
若くで長男を出産し、海外生活、三兄弟の生活、受験、仕事と日々追われて、あっという間に大きくなったので、改めて彼の成長や葛藤を知ることができて、とても嬉しかったのです。

毎晩、アロマオイルを焚いて、彼のお気に入りのラベンダーの香りで足をマッサージしてリラックスして眠りやすいようにしました。
どうしても寝れない日は、朝まで彼のお気に入りのアニメを観て、考察を聞いたり、意見したり、近所の公園で朝4時頃、ふたりでブランコを漕ぎながら会話を楽しみました。

そんな日々が続き、
久しぶりに彼のピアノの音色が家中に響き渡った日は、
無論、涙が止まらず、彼の隣に椅子を置き、一音一音噛み締めました。

少しずつ元気になっていきましたが、登校拒否は続きます。

次回は親子で登校拒否を乗り越え、長男が元気を取り戻した話を綴っていきたいと思います。