足跡 | ひとりごと~パニック障害、不安障害もちの50代母親

ひとりごと~パニック障害、不安障害もちの50代母親

50代兼業主婦。
中学生の子がいる転勤族。
パニック障害で若いころから通院、服薬しています。

10代で転校生虐めに遭い不登校、不安発作を経験。卒業式も欠席。

母親は食事を作らない人で中学から高校卒業の6年間ほぼ買い食い、ネグレクト家庭。

栄養不良でこんなちっぽけな身体に。


20代、婚約者が失踪し婚約破棄。大きく長いパニック障害の波がくる。

数年に及ぶ闘病生活。暮らしにまつわる全てのこと、とくに外出、移動のすべてに不安感がまとわりつく。

薬まみれ。病気と向き合い諦めることの多い時間。

それでも働きたい、自分を見捨てたくないとしがみついた。苦しい記憶は鮮明に残っている。


やっと寛解して看護師を目指す。

2年生のとき交際相手との間に妊娠した。伝えたら掌を返され暴言暴力、堕胎を迫られたうえに金銭負担もしてもらえず。

苦しすぎて自殺を考える。

看護学校留年。

パニック障害再発。ここからふたたび長く苦しむことになる。


看護師免許取得するも体調はどん底で働けず。

向精神薬を飲みながら勤務しても、自分が自分でないようなミスをしまるで地に足がついていない。

なかなか仕事が続かない。

転がり込むようにして今の夫と暮らし始める。


数年同居したが年齢を考えけじめをつけるため籍を入れた。直後、義実家からの虐め、いびり、暴言が始まる。式は反対され頓挫。旅行もせず。

子どもも産めないくせにとなじられた。

実際、流産を繰り返しまたも体調は最悪に。


結婚後初めての県外転勤で札幌へ。極寒が半年も続く気候、月から金は夫が道内僻地に出張で不在。

あまりの孤独に耐えきれず、本格的な不妊治療に没頭する。


アラフォーで高齢出産。

パニック障害の症状に産後うつが加わり、育児どころでなく福祉の世話になる。

地獄。


4年間の北海道生活を何とか生き抜き、会社に直談判し東海地方に異動。

温暖で体調が安定し仕事も続いていたが、夫にリストラ話が。頭が割れるかと思うほど悩み苦しんだ数か月。残留させてもらえるよう会社に土下座するような格好で、リストラを免れたが出向。


いまの僻地に左遷。7年目。


私の人生のほとんどは病気と、故郷のない孤独と不安定で先の見えない毎日の疲労感のなかで歳を重ねてきただけだ。

子どもの親になれたこと。たしかに子どもの存在は力をくれるが、ひとりの人間に一人前に育ってもらうには、あまりに非力な母親だと自覚する日々。


つらい。生きることはどうしてこんなにつらいんですか。どうして人並のものごとが私にはなく、一瞬の幸せはこんなに儚いんですか。

消えたい死ねたらいいのにと、50歳でも思うなんて、そんな人生だなんて、知らなかった。