短編ホラー小説 愛猫堂百物語 -4ページ目

第九話 山小屋

 
哲也はひどく疲れていた。
友人の元秀と山登りに来たのだが、山を下りる途中で豪雨に遭い、道に迷ってしまったのだ。
日帰りの気楽な山登りのつもりだったのだが、陽が落ちて、辺りは真っ暗になってきてしまった。
ぬかるむ道に足を取られながら、道無き道を歩く。
元秀もだいぶ疲れているらしく、さっきから一言も発していない。
雨に体温を奪われ、今にも倒れそうだった。
突然、意識が朦朧としかけた哲也に、元秀が声を掛ける。
 
「哲也、しっかりしろ。見ろ!山小屋がある」
 
哲也は、元秀の指差す方を見る。
 
(助かった…)
 
確かにそこには、山小屋があった。
 
 
二人はお互いを抱き抱える様にして、山小屋まで辿り着いた。
 
ギギギッ
 
軋むドアを開ける。
生臭い匂いと、排泄物の独特の臭さが、鼻を刺激した。
 
「元秀、この小屋ひどく臭いな…」
 
「あぁ、俺達みたいに、道に迷った人間が、ここで捕まえた動物を喰ったりしたんだろう。その上、小屋の隅で、用を足したりしたんだろうな」
 
外は豪雨、しかも真っ暗である。
仕方なく二人は、山小屋に入った。
 
 
意外と山小屋の中は広かったが、もちろん灯りなど無く、中は真っ暗だった。
よく見ると、小屋の真ん中に小さな囲炉裏がある。
まずは暖を取らないと、と二人は背負っていたリュックの中から、火が点きそうな物を探し、囲炉裏の中に放り込み、火を点けた。
とても小さな火だったが、二人はやっと人心地つけた。
二人とも腹が空いていたのだが、この臭いの中では何も食べる気は起きなかった。
 
「哲也、暖まったら寝ちまおうぜ」
 
元秀の言葉に、哲也はうなづいた。
そして一時間後、二人とも横になった。
 
ギッ…ギッ…
 
何かが軋む音が聞こえ、哲也は目を薄く開く。
 
ギッ…ギッ…
 
風が小屋を軋ませているのだろうと、再び目を閉じた。
 
(しかし、ひどい臭いだな…)
 
哲也はタオルで、鼻と口を覆った。
 
 
 
 
翌朝…。
 
「ひぃぃぃ!!うわあああぁぁ!!」
 
突然、元秀が悲鳴を上げた。
何事かと、哲也が目を開くと、元秀は天井を指差して震えている。
 
ギッ…ギッ…
 
見上げた天井には何人もの、首を吊った死体がぶら下がっていた。
 
 
風で死体が揺れる。
 
ギッ…ギッ…

第八話 潔癖症

 
早苗は一心不乱に手を洗っていた。
 
(綺麗にしなくちゃ…黴菌が…)
 
早苗は人が触れた物は触れない程の潔癖症だった。
 
その異常なまでの潔癖さに同僚達は閉口していた。
仕事は人並み以上に出来たが、常に消毒液を浸したハンカチを持ち歩き、コピー機やパソコンは綺麗に拭かないと使う事をしなかったし、手洗いを30分以上も続ける為に業務にも支障が出た。
次第に不満の声が職場内から上がる。
直属の上司も頭を悩ませていたが決断をするしかなかった。
 
「そんなに物に触れるのが嫌なら手袋をして仕事をしなさい」
 
そして、早苗は手術用の薄いゴム手袋を着用するようになった。
それでも少しでも手袋が破れたりするとまた、手洗いを繰り返すのだった。
 
ある日の事。
早苗は上司に会議室に呼ばれた。
新しい仕事の大切な打ち合わせである。
打ち合わせの最中、向かい合わせで段取りの説明をしていたその時、花粉症気味の上司は一つクシャミをした。
すると、早苗は顔色を変え会議室を出ていってしまった。
上司が早苗を追いかけてみると案の定、手袋を取り手洗いをしていた。
 
(綺麗にしなくちゃ…綺麗にしなくちゃ…)
 
その様子に腹を立てた上司は注意しようと早苗を呼び付けた。
しかし、早苗は手洗いを止めない。
 
(綺麗にしなくちゃ…綺麗にしなくちゃ…)
 
堪り兼ねた上司は早苗の肩を掴み振り向かせる。
そして、大声で怒鳴ろうとした瞬間。
またクシャミをしてしまった。
上司の唾が早苗の顔や身体に飛び散った。
 
「きゃゃゃゃゃゃゃゃあああああああああああ…」
 
早苗は物凄い悲鳴を上げ走り出した。
 
「早苗くん!どこへ行くんだ!」
 
上司の声が虚しく響いた。
 
行方不明になった早苗を探しに同僚達が会社中を探しまわる。
女子社員の一人が女性用トイレのドアが開かない事に気付いた。
同僚達が集まる。
 
「早苗さん、いるの?開けて!早苗さん!」
 
ドンドンドンドン
 
ドアをノックしても応答がない。
やむを得ずに男子社員が強引に鍵を壊し、女子社員が中に入る。
 
「ぎゃああ!」
 
女子社員が悲鳴を上げた。
 
 
 
 
正気を失った目の早苗は、カッターナイフで自分の顔の皮膚をどす黒い血を流しながら、無理矢理切り剥していた。
 
(綺麗にしなくちゃ…綺麗にしなくちゃ…)

第七話 口裂け女

 
美登里は早足で歩いていた。
急な残業で帰宅が遅くなり、駅から家までの暗い道を疲れを引き摺りながら、それでも警戒しつつ急いでいたのだ。
もう少しで家に着く所で、街灯の下にうずくまっている人影が見えた。
 
(気味悪いなぁ…)
 
そう思いつつも、恐る恐る近付くと女性の様なので、美登里は安心して、どうしました?と声を掛けてみた。
すると女性はいきなり振り返り
 
「わたし、綺麗?」
 
と美登里に尋ねた。
 
その女性の口はまるで、裂けている様に真っ赤だった。
 
 
 
「あははははは!」
 
仁美はドレッサーに向かい、口の周りに塗った口紅を落としながら、大声で笑った。
 
「あの女、白目剥いて気絶しやがった。あー面白い」
 
仁美は夫と姑と三人で暮らしている。
帰宅の遅い夫。
口うるさい姑。
ストレスで爆発しそうな思いを、口裂け女の真似をして、人を驚かす事で発散していた。
 
「あはははははは!明日はもっとメイクを濃くしてみようかしら」
 
仁美はそう言って、唇をぐにゃりと曲げ、笑った。
 
 
 
次の日も、仁美は三人を驚かした後、人目を忍びながら家へ戻ってきた。
 
「やっぱりメイクを濃くして正解だったわ。今日も面白かった…でもそろそろ、警察に通報されているかもしれないから気をつけないと」
 
仁美はひとしきり笑い、メイクを落とそうと、ドレッサーに向かった。
口紅を落す為、クレンジングを塗る。
 
(あれ?…)
 
まったく口紅が落ちる気配がない。
 
(やだ…この口紅落ちにくいわ)
 
一生懸命に擦ってみるが、まったく口紅が落ちない。
 
(なんで?…)
 
仁美は呆然と鏡を見つめた。
 
 
すると、鏡に映っている仁美の顔が、ニヤリと笑った。
 
(え?…何これ…)
 
そして、驚いた表情のまま鏡を見つめる仁美に、鏡の中の仁美はこう言った。
 
『わたし、綺麗?』