犯人、森川哲行は逆恨みによる2回もの殺人を犯し死刑となる。
日本の無期懲役は終身刑とは違う。刑期10年を経過した後、仮釈放が許される可能性がある。
第一の殺人
森川は15歳より障害などで前科七犯。そんな森川も27歳の時親戚たちの勧めもあり結婚
ところが森川はろくに仕事もせず、妻に殴る蹴る、バケツの水をかけるなどの暴力を振るう。
産れた子供の為にと耐えてきた妻だが、親戚や仲人に相談し離婚を決意。
昭和37年9月15日、仲人夫妻、妻の母親、妻、森川の5人にて仲人宅にて離婚の話し合いの際、日頃の暴力などを指摘されると、話し合いの場を飛び出した。
しばらく森川の帰りを待つが戻って来ないので、妻とその母は帰ることにした。
帰りのバス停に向かうとそこに森川が待っていた。
妻と二人で話がしたいと申し出、母親は少し離れたところで待っていた。
離婚したくない森川と離婚したい妻の話は平行線をたどり、森川は持っていたナイフで妻の脇腹と胸を突き刺す。異変に気が付いた妻の母親が駆けつけると、今度は母親に向かって襲い掛かり、腹部や胸部を何度も刺した。
妻はなんとか一命を取留めたが、母親は出血多量にて死亡。
この事件により昭和37年11月に森川は無期懲役の判決を受ける。
服役中の森川中は、自分を刑務所に追いこんだ親族達への復讐で一杯だった。
昭和51年12月8日。事件から14年後、森川は仮出獄した。無期懲役囚が仮出獄する場合、身元引受人が必要であるが、これは森川の育ての親である父方の叔母夫妻が引き受けてくれた。出所した森川は働く気もなく酒を飲んで暮らしていた。
昭和53年6月20日。働かない森川に業を煮やしたおじ叔母夫妻は森川と口論になった。
森川は刺身包丁を持ちだして叔母夫妻を追いかけまわした。幼少期から世話になり、親代わりの叔母夫妻にも牙をむいた。夫妻は何とか逃げ切り事なきを得た。
この連絡を受けた森川の兄が警察に連絡し、警察に取り押さえられた森川は、一年半で仮出獄を取り消され、再び熊本刑務所へ逆戻りすることになった。
第二の殺人
昭和59年2月1日。森川は二度目の仮出獄となる。この時点で最初の殺人から22年。
身から出た錆、自分の不幸を全て関わった人達のせいだと復讐心に燃える。
1番殺したいのは殺し損ねた妻、2番目は当時の仲人夫妻、3番目は元妻に再婚を勧めた仲人の弟夫妻、そして前回の仮出獄から刑務所に逆戻することになった原因の叔母夫妻、実兄と、どんどん人数は膨れ上がり、森川の殺意対象者は30人以上にも上った。
そして昭和60年7月23日、2度目の殺人へ。
憎い順に殺したいところだが、妻の消息が掴めなかった。当面の生活費も殺した相手から奪おうと思い立ち、所在の分かるもから殺害することにした。
運悪くその標的になったのは、仲人の弟の妻Mさんであった。(仲人夫も弟もすでに他界しているため)
Mさんは養女Yさんと就寝中に森川に襲われた。
Mさんを41か所、Yさんは35か所を刺された。
刺した状況を逮捕後の森川は「簡単やった。まるで大きな白い豆腐に刺身包丁を刺しては抜き、刺しては抜き、ちゅう感じじゃったばい。」と語った。
殺害後、二人の服を脱がせ全裸にした。死んでもなお恥をかかせたかったと供述している。
そして、Mさん宅から現金40万と、貴金属を奪い逃走。
遺体は翌朝、仕事場に来ないことを不審に思ったMさんの会社の従業員が発見した。
辺りは血の海で男女の区別もつかないほどの凄惨な現場。
現場を捜査した捜査員も目を覆う惨状だったようだ。
事件から5日後、飲み屋で知り合った女性と一緒に過ごしているところを捜査員に逮捕された。二人を乗せたタクシードライバーが警察に通報した。
最初の殺人から23年してからの殺人。この長い期間、森川の歪んだ逆恨みは衰えることが無かった。
2度目の殺人で逮捕された森川は
「私は無期懲役囚で、今度捕まればいつ刑務所から出られるか分かりません。それならいっそ、恨んでいる奴らを皆殺しにしてしまおうと思いました。MやYを殺したことについては何も反省していませんし、反省するくらいだったらこんな事件は起こしません。それより、二人を殺したくらいではまだまだ足りない、これが正直な気持ちです。」
と語った。
森川は今度こそ死刑判決。平成11年9月10日死刑執行 69歳没
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