小林多喜二は、日本が軍国主義に突入し始めた頃、特高警察に逮捕された。そして、その日のうちに刑務所内において、棍棒で全身を叩かれ、首を紐でしめられ、指を反対側にへし折られ、さらに太ももに釘を打ち込まれ虐殺されている。
何をしたかと言えば、小説を書いたことが原因だった。帝国や資本家を批判する、いわゆる‘赤’の。
『蟹工船』は、戦時中には発禁となっていたが、戦後、再び出版された。何度か映画化もされている小林多喜二の代表作だ。
函館から出航した蟹工船「博光丸」は、北海道日本海側沿岸から宗谷海峡を経て、オホーツク海へと進む。漁場までの海上気象状況が記述されている。
『留萌の沖あたりから、細い、ジュクジュクした雨が降り出してきた。~~納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。』
『稚内に近くなるに従って、雨が粒々になって来、広い海の面が旗でもなびくように、うねりが出て来て、そして又それが細かく、せわしなくなった。』
『宗谷海峡に入った時は、三千噸(トン)に近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。何か素晴らしい力でグイと持ち上げられる。船が一瞬間宙に浮かぶ。――が、ぐゥと元の位置に沈む。』
『オホツック海へ出ると、海の色がハッキリもっと灰色がかって来た。~~寒くなればなる程、塩のように乾いた、細かい雪がビュウ、ビュウ吹きつのってきた。』
『カムサツカの海は、よくも来やがった、と待ちかまえていたように見えた。ガツ、ガツに飢えている獅子のように、えどなみかかってきた。~~空一面の吹雪は、風の工合で、白い大きな旗がなびくように見えた。夜近くなってきた。然し時化は止みそうもなかった。』
同じく出航している別の蟹工船から「S・O・S」の無電が入る。しかし、労働監督はそれを無視する。
『――蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった。~~蟹工船は「工船」(工場船)であって「航船」ではない。だから航海法は適用されなかった。~~蟹工船は純然たる「工場」だった。然し工場法の適用もうけていない。それで、これ位都合のいい、勝手に出来るところはなかった。』
仲間の船は沈没してしまう。しかし、捜索などはせず、博光丸は仕事に取りかかるため、カムチャツカ半島の沖合四海里(約7.5km)のところに錨を下ろすのだった。
蟹工船には、周旋屋に引っ張り回されて文無しになった雑夫、朝早いうちから畑に出て、それでも食えないで、秋田、青森、岩手から追い払われてくる百姓出の漁夫、「稼げる」と周旋屋に騙されて乗せられた学生などが働いた。内地で稼げなくなって、自分の土地を「他人」に追い立てられてきたものが沢山いたのだった。
資本家の手先となっている労働監督は、そんな工員達をまるで人間扱いしない。働かないものは容赦なく切り捨てられ、船の中を逃げ回った雑夫は、見せつけのように虐待され監禁されて死んでしまう者もいた。。
停泊している博光丸から、川崎船(漁を行う小型の船)が何艘も出航したが、嵐がやってくる。
『昼過ぎから、空の模様がどこか変ってきた。薄い海霧(ガス)が一面に――然しそうでないと云われれば、そうとも思われる程、淡くかかった。波は風呂敷でもつまみ上げたように、無数に三角形に騒ぎ立った。風が急にマストを鳴らして吹いて行った。~~
「兎が飛ぶどオ――兎が!」誰かが大声で叫んで、右舷のデッキを走って行った。~~
――それがカムサツカの「突風」の前ブレだった。にわかに底潮の流れが早くなってくる。船が横に身体をずらし始めた。今まで右舷に見えていたカムサツカが、分からないうちに左舷になっていた。』
「三角波」は、進行方向の異なる波群が遭遇した場所で起こる先端が尖った波の山だ。沿岸の海域の場合「うねり」が卓越している海域で「うねり」とは異なる方向の風が強まった時に「風浪」が起こり、その接点で三角波が発生することがある。転覆事故が起こりやすくなる波で、博光丸の乗組員はそれを「兎が飛ぶ」と表現し警戒を呼び掛けているのだ。
あっという間に暴風となった中、出航していた川崎船が、本船の警笛を便りに戻ってくる。労働監督はその朝早くに「突風」の警戒報を受取っていたのに無視していたのだ。しかし、一艘の川崎船が戻らなかったため捜索をする。『人間の五,六匹何でもないけれども、川崎がいたましかった』からだった。
川崎船は、三日後、突然帰ってくる。カムチャツカ半島の岸に打ち上げられてロシア人に助けられたというのだ。漁夫達はそこで、ロシア人たちに「プロレタリア(労働者たち)は闘うべきだ」ということを教えられたという。『彼等は漠然と、これが「恐ろしい」「赤化」というもの』ではないかと考えたが、『それが「赤化」なら、馬鹿に「当たり前」のことである』ような気がしたのだった。
漁夫達は何日も続く過労のために、だんだんと朝起きられなくなってくる。脚気で死ぬ者も出た。しかし、監督は棍棒で殴りつけて働かせ続けたため、漁夫達の不満が次第につのってくる。
ストライキを計画する者が学生の間にでて、三角波が立ってきたある朝、ストライキは決行されたのだった
『皆さん、私たちは今日の来る日を待っていたんです。~~~
~~皆さんも知っている、私たちの友達がこの工船の中で、どんなに苦しめられ、半殺しにされたか。~~~然し、もういいんです。大丈夫です。~~私たちは憎い憎い、奴等に仕返ししてやることが出来るのです・・・。』
そして、労働監督達を監禁して「要求条項」や「誓約書」を突きつけるが、事態は急変する。日本海軍の駆逐艦がやってきて、ストを起こした主要な学生や漁夫達を連行してしまうのだった。
蟹工船をオホーツク海に出航させているのは、資本家達だけに利益があるのではなく、帝国海軍には北方方面の偵察という目的があったのだ。
『俺初めて聞いて吃驚(びっくり)したんだけれどもな、今迄の日本のどの戦争でも、本当は――底の底を割ってみれば、みんな二人か三人の金持ちの(~大金持ちの)指図で、動機だけは色々にこじつけて起こしたもんだとよ。何んしろ見込のある場所を手に入れたくて、手に入れたくてパタ~してるんだそうだからな、そいつ等は。』
ストライキを決行した主要なメンバーはいなくなったが、残った工員達は諦めなかった。
『俺達には、俺達しか、味方が無えんだな。始めて分かった。~~帝国軍艦だなんて、大きな事を云ったって大金持の手先でねえか、国民の味方?おかしいや、糞喰えだ!~~俺達全部は、全部が一緒にやった、という風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打てなかったろう。まさか、俺達全部を引渡してしまうなんて事、出来ないからな。~~
そして、彼等は、立ち上がった。――もう一度!』
これは戦前の日本の話だが、似たような話はここ数年、ニュースで度々耳にする。資本や武器を持っている人や国が「動機を色々にこじつけて」立場の弱い人々や国に襲い掛かり、何らかの利益を得ようとするこの構図・・・。きっと、なくなりはしないのだ。
参照、引用文献
・『蟹工船・党生活者』 小林多喜二著 新潮文庫
・『波浪学のABC』 著者 磯崎一郎 発行所 株式会社 成山堂書店