皆様こんばんは!

私、色々考えていました。私が目指すべき自分像についてです。

今から10年前で考えると、私の人間性は、150°ぐらい違う人間だったかもしれない。

まだ、自分自身の気持ちのコントロールが上手くできなくて、たまに声を荒げていたよ。

40歳ぐらいからかな?目指すべき将来像が明確になってきたのはさ。

私は、心も、外見も、仕草も言葉遣いも生き方も美しさを求めていたんだなと、改めてわかりました。

高校の頃に、カトリックの学校行っていて、授業で女性学という授業がありました。そこでは品がある生き方について学びました。

品と言えば、私は思うんです。

私の父は、海外出張が長かったからか、ジェントルマンな思考であり、日本人として品がある人だと思っている。

取引先の方に母を紹介する時、

うちのワイフです。
妻の意味


( ˊᵕˋ ;)💦ワイフかよ!!


誠実に仕事と向き合い一生懸命頑張り、でも自己主張は全くしない。嘘を嫌い正直で飾らない事実本位で生きていた。上下関係関係なく人を敬う態度や言葉遣い。

ど!!!

ど!!!!

真面目

取引先のインドの方に良いように利用されたり、人がよすぎるのです。

私はある時から、父は人間的にすごいできている人だなあと思っていた。

定年退職してから毎日母と一緒にいて、普通の口調で話せば良い内容なのに

母      ムキームキー早くご飯食べなさいよ!!

父       照れ照れお母さんも一緒に食べましょ!?

母        ムキームキームキームキー私は朝早く食べたから良いの!!いちいちうるさいわね!!

私         滝汗滝汗滝汗

このような会話が毎日繰り広げられている訳だけど、父は荒れることなく過ごしています。

父       さとりさんが小さい時、お母さん一人で子育てとかしてもらっていたしね。償いかな?

とか言っていた時もあった。

たまに、無になりたいからか?!?!阿修羅像とか、細かく再現して作っていたりしています。



なんだか、神の教えを落とし込んで生きているなあ。清くて美しい人だなあ。

私が離婚して、また家族と一緒に住むようになったのですが、母は私の反面教師として学ばせてもらい父は私の人としての道を教えてくれる人物になっていった。

母は、若い頃は夏目雅子さん似の綺麗なお姉さんみたいな感じで写真に写っていた。

笑い泣き笑い泣き笑い泣きこりゃ、男性は黙っておかないよ!!

真顔真顔真顔でも、罵声の浴びせ方みると引くレベル

|ョ・ω・`)チロッ・・・

そうなんです。黙ってりゃ良い女なのに。。。

( ˊᵕˋ ;)💦  私も同じこと言われたことあります。

血は争えません。15年ぐらい前の私は、まだ気が荒い感じでした。口調も似ていたし、似ているからこそこんな風にはなりたくないとも思った。

でも、根本は温かい人なんだよね。胸の内を話さないから、かなり誤解するタイプなのかもしれないよね?

離婚してから様々な仕事をしていき、私の目指すべき女性像がだんだん形になってきた。

心の内は表情に自然に現れます。同じシワが出来るなら笑いジワが良い。口角も上がってる方が良い。内面、外見も年相応の美しい女性になりたい。凛としていたい。

武士道を語っているうちに、武士道精神は、私がなりたい自分に当てはまり、毎日精進しているんだけどずっと、何かが足りないなー。根本の何かが。。。。

( ゚д゚)ポカーン

なんだろう?(*゜ー゜)

…( ˙ㅂ˙ )…

( ´ ꒳ ` )💡閃いた!!

気づいたんです!美意識だったのです。

私は、生き方すべてに全て美しいか美しくないかを、問うんですよね。

例えば、姿勢を悪くして歩くより、シャンとして歩いている方が美しい。

仕事に向かう姿勢も、オンオフきちんとして、元気な挨拶から一日が始まる方が美しい。

人に美しいと思われたいからとかではなく、自分自身がそう思える生き方をしたいという感じ。

そういう女性になりたいのです!

|ョ・ω・`)チロッ・・・

(ヾノ・∀・`)ムリムリ?

( ˙³˙ )
( ˙³˙ )スン

もう、45歳になるからね、素敵な歳の重ね方をしたいのです!

言葉遣いも仕草もさ。

もちろん心もね?

清く正しく美しく!じゃないけどさ。

ブッダの教えです。





まず、
自分を正しく整えてから
他人に指摘しなさい。

そして、他人に指摘したことは、
自分も実行しなければ
なりません。



「わたしは愚かである」
と認められる者こそ、
賢者である。

逆に「自分は賢者である」
と思っている者こそ、
愚者と呼ぶにふさわしい。



生まれを問うな、
行為を問え。



人は「私はこういう人間だ」と
自分で考える
その通りのものになります。
それと異なったものに
なることはありません。



人間が他の動物よりも上に立つ理由は、
我々が冷酷に他の動物を
苦しめることができるからではなく、
彼らを憐れむことができるからです。




ものごとは心にもとづき、心を主とし、
心によってつくり出されます。
もしも清らかな心で話したり行なったり
するならば、幸せはその人についてくるでしょう。



人はその口によく切れる斧を持って生まれます。
その斧により他人を傷つけて、
知らないうちに自分自身の心をも傷つけます。

他人を批判する悪口の斧を振り下ろすたび、
まっさきに君の心がこわばって、
君の頭の中に不快な思いが生まれ、
君の身体の中に毒素が発生し、
君の呼吸には毒ガスが混ざるのだから。



沈黙しても批判され、
多く語っても批判され、
少し語っても批判される。
この世に批判されない者はない。



実にこの世においては、
怨みに報いるに
怨みを以てせば、
ついに怨みのやむことがない。
怨みを捨ててこそ、怨みはやむ。
これは永遠の真理である。



他人の過失を見ないように。
他人のしたことと
しなかったことを見てはなりません。
ただ自分のしたことと
しなかったことだけを見なさい。



戦場において百万人に勝つよりも、
唯だ一つの自己に克つ者こそ、
じつに最上の勝利者です。



『一切の事物は自分の物ではない』
と明らかな知恵をもって観るときに、
ひとは苦しみから遠ざかり離れます。



今日すべきことは明日に延ばさず
確かにしていくことこそ
よい一日を生きる道である



愚かな人は常に名誉と利益を得たいと苦しみます。
上席を得たい、
権利を得たい、
利益を得たいと、
常にこの欲のために苦しみます。



「小さな行いの報いが、来ることは無いだろう」と思い、
善行を軽く見てはいけません。
水一滴の滴りも、つもれば水瓶をあふれさせます。
心ある人は、小さな善を積み重ねて、
いつのまにか、福徳に満たされています。

(  ˘-˘  )ジーン

と、きますね!

。+゚(ノ∀'*)マッタヌ—ン゚+。