「その後の天地真理」について、書いてみます。1977年休業後の天地真理さんについてです。
その前にすごくかわいい天地真理さんの似顔絵を発見。ことらさんのブログです。
http://ameblo.jp/heppoko-2/entry-11961783972.html   

勝手に掲載しました。ことらさん、問題があれば削除します。ことらさんも「何となく彼女の歌声を聴いてみたら、あら不思議!自分にとって「癒し&リラックス効果」あることに気づき今では、毎日聴いてます。」ということでした。うれしいですね。やっぱり真理ちゃんってすごい^^

「その後の天地真理さん」について

1977年の休業後、1979年の再デビューから1983年の「わたしが雪だったころ」を歌い、白雪姫を卒業するまでを第二期の活動時期と区切っていいと思います。

ウィキペディアより、引用すると以下のような活躍をされたことがわかります。


197951日、天地は新宿・厚生年金ホールで開かれた「森田公一とトップギャラン結成10周年記念コンサート」に招かれ、ひさびさに公衆の面前に姿を現した。同年67日、「天地真理を励ます会」が発起人森光子・森田公一立ち合いのもとCBSソニー録音スタジオにおいて200名を超える取材陣を前に開かれた。復帰会見では「とにかく歌が好き。私には歌しかないと思っていました。」というメッセージをみずから公表し、また、約2年半休業の間ファンクラブが存続していたことに対し支援を忘れなかったファンへの感謝の辞を述べていた。同月10日午前85分から放送のTBSラジオ『ラジオリクエスト大賞・森田公一の青春ベストテン』へのレギュラー出演を機にカムバック。このときの所属事務所は渡辺ワークショップである。同月16日からは美顔器「エレンスパック」のテレビコマーシャルにも登場、ナレーションは森光子が務めた。


同年1015日、東京芝・ABCホールで復帰コンサート「天地真理 明日への出発(たびだち)」(主催:渡辺ワークショップ、CBSソニー) を行う。ファンとより近い会場でという天地の希望により400席のホールで開催され、収容数を100名超えるファンが駆けつけた。特別ゲストに森田公一を迎え、演奏は当時太田裕美のバックバンドであった「コズミックララバイ」と淡海悟郎が担当した。客席で森光子が鑑賞した。このコンサートは翌日のワイドショー番組や新聞等で大きくとり上げられた。

同年12月に森田公一作曲、松本隆作詞「愛・つづれ織り」を発表。ライブハウス新宿ルイード他全国でのミニコンサートを精力的に行う他、テレビおよびラジオでも天地の復帰を祝う番組に多数出演した。翌19809月に「初恋のニコラ」(原曲歌唱シルヴィ・ヴァルタン)をカバーし発表するも以前ほどの大ヒットには結びつかなかった。

19829月に再々デビュー。所属事務所はエヌ・エンタープライズ。ラジオ日本『思い出の愛の歌』のパーソナリティーを務める。天地と男性局アナによるMCで進行し、洋画の名曲等を紹介するような落ち着いた内容で、30歳を過ぎた天地に合った落ち着いた大人の雰囲気のある番組であった。


当時、東京紀尾井町のホテルニューオータニにあった「クリスタルルーム」においてピーターとレビューショーを行い、天地の新しい魅力としてマスコミに大きくとりあげられた。その後、舞台(芝居)へ意欲的に出演する。沢竜二主演の大衆演劇の芝居、新宿紀伊国屋ホール『上州乱気流』他、下北沢本多劇場でも数々の舞台に参加、『堕落』では御木本伸介とシリアスな芝居にも取り組んでいる。舞台、映画やテレビ等で女優として活躍する傍ら、フジテレビ系の『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演した時期があった。

19832月、「私が雪だった日」を歌うことにより、「白雪姫」時代の終幕を飾る。


ひこうき雲さんが、77年休業のまま終わっていたら、「天地真理」は伝説のアイドルとなっていたと書いていらっしゃる記事を読んだことあります。確かにそうならば、絶頂期で引退した山口百恵、南沙織と同じように伝説になった可能性は高いでしょうね。しかし天地真理は、引退せず、その後も「天地真理」として、私たちの前に存在続けたのです。


1979年の再デビューの時 わたしは、大学生でしたが、この時のことはほとんど記憶にないのです。当時、若いというか幼いというかこどものようなアイドルが次々と登場しデビューしていきます。もう天地真理は、過去の人だと思ったのかもしれません。記憶にまったく残っていないのです。


YouTube等の動画などで、この時期の活動をしりました。消された動画が多い中で、山口百恵さんが歌っヒットした『秋桜』をピアノの弾き語りで歌っている動画があります。すこし大人の雰囲気で歌う姿、素晴らしいです。本当に音楽的な才能のあった人だと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=LfbZ63bByiQ  


当時こんな姿をわたしが、一度でもTV等で見ていれば天地真理さんをもっと早く評価してあげれていたのではないかとおもうのです。


82年に再デビューとあるように、継続的な活動にはなっていなかったのでしょうか。またこの時期、3枚のシングルの発表だけでLPの販売もなかったのは、なぜでしょうか。出しても売れないという判断だったのでしょうか。またお芝居には、割と意欲的に取り組んでいらっしゃったようです。


当時の動画などを見て、 どうしてその後「歌う」ことが続かなかったのかと思います。真理さん自身、精神的に不安定な面がまだあったのでしょうか。「初恋の二コラ」などを聞くと、大人の歌手として十分、歌っていくことができたと思うのですが。ただし当時、松田聖子や中森明菜、河合奈保子などの80年代アイドルの世代が次々とデビューする中、私ももう「天地真理」は、過去の人と当時思っていたのかもしれません。


インタビューの中の「とにかく歌が好き。私には歌しかないと思っていました。」の記事。これが真理さんの本音だとおもうのですか。