1) なぜ7月5日が話題になっているのか
7月5日に大災害が起こると
あちこちで言われています。
今日はそのことについて
お話ししたいと思います。
その一番の発端となったのは
たつき諒(りょう)さんという
女性マンガ家の予言でした。
たつきさんは今から26年前に
「私が見た未来」という漫画本を
出版されました。
この漫画本の表紙に
「大災害は2011年3月」と
書かれてあったのです。
出版された当時は
何の話題にもならなかった
この漫画本。
しかし実際に2011年3月に
東日本大震災が発生したことで
世間の注目を集めることとなりました。
しかしその本は
その後絶版になってしまい
人々の目に触れる機会は
なくなりました。
そのためこの本は
“幻の予言書”となり
オークションでも高値で
取引されていたそうです。
しかし2021年の秋に
装いも新たに「完全版」として
発刊されまた。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
私もさっそく購入し
ドキドキしながら
読んでみました。
そこには2025年7月に
南海トラフを越えるような
大災害が起きる可能性があると
書かれていました。
今日はその内容について
ご紹介したいと思います。
2) たつきさんが見た予知夢その1
たつきさんは若い頃から
夢にまつわる不思議な
体験をしていました。
いわゆる“予知夢”
というものです。
その時はわからなくても
後になってから
「ああ,あれは予知夢だったんだ」
と気づくことが度々あったそう。
そのため,たつきさんは
自分が見た夢の内容をノートに
記録するようになりました。
「私が見た未来」で
最初に紹介されているのは
89年8月27日に見た夢です。
トンネルのような洞窟の前に
半袖ワンピース姿の女性が
立ちすくんでいます。
その女性の顔は不明瞭でしたが
何か言いたそうな表情でした。
その夢はそれだけでしたが
なぜかたつきさんにはその光景が
頭に焼き付いて離れませんでした。
それからちょうど1年後のこと。
マンガのアイディアに行き詰まった
たつきさんは散歩に出かけます。
当時たつきさんは
横浜に住んでいたのですが
その日は一度も行ったことのない
N公園に足を運びました。
その公園を歩いて行くと
目の前に夢で見たのとそっくりの
洞窟のようなトンネルがありました。
その数日後,テレビの
ニュースを見ていた
たつきさんは驚きました。
N公園の洞窟の近くで
女性の遺体が発見されたことが
報じられたからです。
公開された女性の服は
たつきさんが夢で見たものと
まったく同じでした。
その時,たつきさんは
1年前に見たあの夢が
“予知夢”だったことに
気づいたのです。
3) たつきさんが見た予知夢その2
1976年11月に見た夢は,
たつきさんが友人とテレビの
ニュースを見ているという
ものでした。
そのニュースでは
イギリスのクイーンという
人気ロックバンドのボーカルである
フレディー・マーキュリーが
亡くなったと報じられました。
友人はフレディーの
大ファンだったため
大泣きしていたそうです。
その10年後の11月にも
たつきさんはクイーンがらみの
不思議な夢を見ました。
今度は一人で
部屋でテレビを見ている
夢だったそうです。
その内容は映画か何かの
メイキングビデオでした。
その中でクイーンの
メンバーたちの銅像が
映し出される場面が
ありました。
当時クイーンには5人の
メンバーがいたのですが
銅像は4人分しか
ありませんでした。
欠けていたその1名が
ボーカリストである
フレディー・マーキュリー
だったのです。
そしてその5年後の11月。
テレビの芸能ニュースで
フレディー・マーキュリーの
訃報が伝えられました。
たつきさんはその時,
あの夢が予知夢だったことに
気づいたのです。
4) たつきさんが見た予知夢その3
93年9月14日の夢は
びわ畑のシーンでした。
Y字路の中央に
びわ畑が広がっていて
たつきさんはびわを取って
食べていたそうです。
するとかっぽう着姿の
近所のおばさんらしき人に
叱られたとのこと。
この時の夢はこれだけで
終わりました。
そしてその1年後の9月。
たつきさんの伯父さんが
亡くなったという知らせが
届きました。
すぐに伯父の家に
駆けつけたたつきさん。
伯父の家に向かう途中で
夢で見たのと同じびわ畑に
出くわしました。
その日はたつきさんが
夢を見た日とまったく同じ
9月14日でした。
この時もたつきさんは
1年前に見たびわ畑の夢が
予知夢であることに
気づいたのです。
5) たつきさんが見た予知夢その4
さてここからが本題です。
たつきさんが1981年に見た夢です。
たつきさんが浜辺を歩いていると
突然ものすごい引き潮が発生し,
海の水が消えました。
その数分後,地の底から
体中に響き渡るような
ゴーーッという凄い音が
聞こえてきました。
その音は少しずつ
大きくなっていきます。
そしてその正体が
ついに姿を現しました。
超巨大な津波です!
逃げ惑う人々の姿。
周囲は大パニックに
陥りました。
そこでたつきさんは
夢の中で目を覚まします。
(実際に起きたわけではない)
時計を見たところ
朝の5時で止まっていました。
外へ出てみると
街の様子が大きく
変わっていました。
歩道橋の先に,
あるはずのない海が広がり,
そこには大きな船が三艘
泊まっていたそうです。
そして夢は
ここで終わりました。
この時のなつきさんは
半袖の夏服を着ていました。
夢に出てきた津波は
東日本大震災のそれより
もっと巨大でした。
そのためこの夢は
3.11の予知夢ではなかったと
たつきさんは後になって
気づいたそうです。
6) たつきさんが見た予知夢その5
この夢を見た17年後の1998年,
たつきさんはインドに行きました。
この時たつきさんは多くの
スピリチュアル的な出来事を
経験しました。
そのため,
このインド旅行が
彼女の人生の大きな
ターニングポイントに
なったそうです。
そしてこの時にも彼女は
大災害の夢を見たのです。
日本列島の南に
位置する太平洋の水が
盛り上がるという夢です。
それはちょうど
ドロドロのスープが
煮え立った時に“ポコン”と
泡が沸き立つような
イメージでした。
その時はこれが
海底火山の噴火なのか
深海で爆弾が爆発したのかは
わからなかったそうです。
そしてこのインド旅行から
帰ってきてまもなく
大災害は2011年3月という
日付が見えたとのこと。
それが気になって
「私が見た未来」の表紙に
この日付を書き入れたのです。
そして最近,たつきさんは
また同じような夢を見ました。
夢の中で
日本のフィリピンの
中間あたりの海底が
ボコンと破裂する夢です。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
(「私が見た未来 完全版」P.84~85掲載の図)
その結果,
大きな波が発生し
巨大な大津波となって
太平洋周辺の国々に
押し寄せました。
その高さは東日本大震災の
3倍はあろうかという
すさまじいものでした。
この夢の中では
日付がはっきりと
見えたそうです。
それが2025年7月5日なのです。
7) たつきさんが描く未来の姿
たつきさんが自分の漫画本の
表紙に「大災害は2011年3月」と
書き込んだ1999年当時,
彼女は無名のマンガ家でした。
しかし今は違います。
3.11がきっかけとなり
彼女の表現する漫画や言葉に
多くの人が注目しています。
たつきさんはいい意味で
これを利用しようと考えました。
大災害そのものは
甚大な被害を及ぼします。
しかし人々が事前に準備を行い,
行動の計画を立てられたとしたら
被害を最小限に食い止めることが
できるのではないか。
自分が見た津波の予知夢が
災難への備えを行うきっかけに
なるではと考えたのです。
「私が見た未来 完全版」の中で
たつきさんはそうした
事前準備の重要性を
強く強く訴えています。
そんなたつきさんには
災害後の未来もしっかり
見えているそうです。
未来は光に満ちあふれ
キラキラと輝くイメージです。
心と魂の進化が起こり
地球に住むすべての人々が
明るく輝き,活き活きと暮らす。
そんな明るい未来を
強く感じているとのこと。
そんな未来に移行するための
一つのきっかけとなるのが
2025年の7月5日ではないか。
たつきさんは強く
そう信じているのです。
8) 私達がなすべきこと
こうして見ると
7月5日の意義がはっきりと
見えてきます。
災害の有無に関係なく
いざという時の準備を
しっかりと行なうべきだ
ということです。
日本は災害の多い国ですから
いつ,どんな状況になるかは
誰にもわかりません。
自然災害そのものを
くい止めることはできません。
いつ大災害が起きてもいいように
日々の準備をしっかり行なうこと。
これなら私達にもできます。
すぐに持ち出せる
防災リュックの準備,
水や食料の備蓄,
ラジオや懐中電灯の用意,
家族との連絡方法の確認…等々
たとえ7月5日という日に
何も起きなかったとしても
準備をしていて損はありません。
備えあれば愁いなしです。
次回の記事では
その具体的な内容について
お話ししたいと思います。
