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<「女性」という呪文と呪縛>④

○「女子力」という呪文より「レディファースト」

お姫さま願望は、おとぎ話やディズニー映画などから刷り込まれる前に、どういうわけか女の子は、物心ついたころから「自分はお姫さまだ」「お姫さまになりたい」という意識を持っていることが多いように感じます。
これは科学的に証明されているわけでもないので、私の単なる感想ではありますが、100%ではないにしてもかなりの確率で女の子たちは、ひらひらのドレスを好みますし、お城のような家に住みたいと思っていますし、ティアラが好きです。幼いころは単純に好きで、みんなで憧れているだけですが、大人になるとお姫さまに近づいていく人も実際いるので、そういう人には自慢の種になりますし、そうでない人はコンプレックスや妬みの要因になったりもします。


そしてその大人になった女性たちは、いつしか「白馬の王子」さまを心待ちにするのです。
やはりディズニーの影響は大きいのでしょうか。日本人女性でもその心にある白馬の王子さまは、金髪で青い目の白人であることが多いように思います。
0歳から1歳、2歳の間に読んでもらった白雪姫とかシンデレラとか人魚姫とか、お姫さまの登場する外国の童話のイメージが、まだ言葉も上手に話せない幼児の心に、憧れの幻影を宿らせるのかもしれません。
スピリチュアル系の人たちは、前世がお姫さまだったから、と言ったりしています。とても幼い頃から女子がドレスに憧れたり、お城に憧れたり、王子さまが大好きだったりするのを見ると、これもあながちバカにできない視点のひとつかもしれません。

長じたお姫さま願望の彼女たちは、王子さま(実際はそんなおとぎ話な男性はいないのに)から好かれようと一生懸命に飾り立てます。そして条件の良い男性から選んでもらおうと必死になるようです。
「女子力」という言葉が、2009年に新語・流行語大賞にノミネートされました。今では定着している表現です。
女子力が高いとか低いとか言って使います。

手の込んだ料理とか可愛かったり美しかったりする質の高い服とかを見たとき、情報・報道番組のなかでレポーターが「女子力たか~い」と叫びます。
王子さまに選んでもらうには女子力が高くないといけないようです。
「女子力」の定義は一様ではないようですが、だいたいまとめると、男性にモテル要素のことのようです。それは容姿や立ち居振る舞い、化粧、服装、趣味、気遣いから料理の腕前まで。男性の気を惹くためのパワーです。

私はこの「女子力」という概念が好きではありません。
どうしてそれほどまでに女性たちは自分を低めているのだろう、と思ってしまうのです。
較べてはいけませんが、動物の世界では、オスのほうがメスの気を惹くのに懸命です。
それに、ディズニーのお姫さまなら、跪くのは王子のほうでありませんか。この「女子力」はまるで女性の方が男性に跪いているように見えます。

 

パラドックスではありますが、女子力を見せつけるからこそ、王子さまが跪く、という図も考えられます。跪かせるのよ、といういわゆる女王様感覚かもしれません。

とはいえ、これら「女王様王様、お姫さま王子さま」イメージがそもそもつくられたものではあるわけです。

「お姫さま王子さま」感覚と「シンデレラ/白雪姫」感覚と「ロミオとジュリエット」感覚などなどが混ざっているのかもしれません。

現実的な話をすれば、昔のヨーロッパの王家ではほとんどが政略結婚でした。

アメリカのテレドラマ「クリミナル・マインド」に、自分に合った靴を持って迎えに来てくれる王子さまを待つシリアルキラーの女性が出てくるエピソードがありました。もちろん、この犯人は特別に心を病んでいたのではありますが。

日本の女の子たちの女子力は、必死に考えた結果の行動ではないのだとは思います。いつの間にか「女子力」という誰かがつくりあげた概念に象徴されるような女性像を体現しようとしているのです。しかもその像は、実は女性の地位をわざわざ低めるような振る舞いであるにもかかわらず。
よく考えるとおかしな話で、「男女平等」とか「男女共同参画」といって、性差別のない世界の実現を訴えながら、一方で、本人たちが自分たちの立場を低めてしまうような価値観を握りしめているように見えます。そしてそれは自動的に男性に「優越と権威」を渡すことになっています。
セクハラ、女性差別はやめてください、と言っている傍らで同時に、男性優位社会の構図を男性諸君にどんどん勘違いさせていくという悪循環をし続けています。

私の記憶の限りですが、「レディファースト」感覚は、一度たりとも日本に導入されたことがありません。

これほど欧米の文化を真似、取り入れている日本で、「女性に譲る」という感覚だけは絶対に承知しなかったのが日本、のようです。
日本の女性たちは「女子力」を競って女性同士争ったり、男性にへつらうよりも、「レディファースト」の概念を世に広めることに力を注いだほうが、女性が生きやすい世の中になると思うのですが。
選ばれる、選んでくださいではなく、私に選ぶ権利がある、私が選ぶ、という感覚も大事です。