カルギル・スリナガル

久々のムスリム圏。
響き渡るアザーンの音。

カルギルにもスリナガルにも
当初は数日ずつ滞在する予定だった。
けれど、群がってくる客引きや、
レストランですぐに隣に座ってくる地元男性陣や
「チンチャンチョン」と罵声を放つ愚かどもや
後を付けてくる目つきの危ないお兄ちゃんたちに
ほとほとうんざりしてしまって、結局通過することにした。
こういう時、心がカサカサするのを感じる。
私は早くダラムサラに帰りたかった。
カルギルから、スリナガル。
スリナガルからジャンムーへと
ジープを乗り継ぎ、ダラムサラへと向かった。

美しい景色だけが見たかった。
けれどもここが印パ国境の最前線であることが、嫌というほどよくわかった。
道沿いに、配置されている軍人たちはすぐに発砲ができる構えでじっと立っていた。
私は、心の中になにか冷たいものを感じた

景色は沈黙を保ったまま、ただただ雄大に拡がり
羊たちの群れが、時折姿を現した。

長い長い帰路の中、私は、
ラダックでの日々を懐かしみ、
ダラムサラに戻ることに胸を躍らせ、
今までに訪れた国々での様々な出来事を
ただただぼんやりと思い出していた。
美しきカシミールの大地を
もの凄いスピードでジープは駆け抜けていった。

ラダックでの日々 9月編
さて、気が付いたらもう12月なのですが、
「ラダックでの日々9月編」、今更ですが更新します。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月1日 晴れ
ラダックフェスティバル初日。
きらびやかな衣装に身を包んだ人々が音楽を奏でながら町中を行進した。
観光客はカメラを必死に構えながら、その行進を追っていった。
真っ青な空に、鮮やかな衣装が眩しかった。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月2日 晴れ
楽しみにしていた仮面踊り「チャム」。
ゆるやかな動きと、少し滑稽な動き。
宗教的意味が全くわからない私でも、楽しむことができた。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月3日 雨
友人の経営するアムドレストランでチベット語の練習の日。
チベットの暦の占いの本で、ギンドゥンは私を調べた。
「時々、激しい倦怠感に襲われることがあるでしょ。
あとお尻に黒子があるはず。」と彼は言った。
半分当たっていた。
調べてみたけれども、黒子はなかった。
激しい倦怠感は、しょっちゅう私を襲う。
英語を話せるチベタンを介して、そう彼に伝えると
チベットの暦をまるで信じている彼は、
「いやいや。あるはずだ。」と言い切った。
けれどやっぱり黒子なんてなかった。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月4日 晴れ
ストライキの日。
町中の店が閉まっている。
パン屋さえ開いておらず、あたりはしんとしている。
なんだか違う町に来てしまったみたいな感じだ。
理由を聞いても、人によって言う理由が違う。
スタクナゴンパ、ストック王宮、ストックゴンパへ観光に繰り出す。
夕方にはストライキも終わっているだろうと踏んでいたのに
帰ってきたレーの町はひっそりと静かなままだった。
寒かった。空腹で、余計に身体が凍えた。
宿の人が作ってくれたカップラーメンが心に沁みた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月5日 晴れ
サスポルへ。
このサスポルにあるゴンパは「洞窟ゴンパ」だ。
「洞窟」という言葉に、ドキドキするのはきっと私だけではないはずだ。

カラカラの岩山に小さな穴が幾つも開いている。
観光客は誰もおらず、辺りはしんとしていた。

中は薄暗く、お香か何かの妙な匂いが漂っていた。
懐中電灯で灯すと、壁一面に描かれた壁画が広がった。

洞窟の中でポツンとひとり、佇んでいるというのは
私をなんとも幸福な気持ちにさせた。
私は、ここから動きたくなかった。
帰りのバスのことなんて考えずに、
ここでこうしてじっとしていたいと思った。
やがて西洋人のトレッキング一行がぞろぞろとやってきて
私の幸福な時間はあっさりと終わった。
いそいそと急いで岩山をくだり、バスに乗ってレーに戻った。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月6日 晴れ

花の都、ダーの町へ。
レーから北西部、ダーの町へ行った。

カラカラに干上がったレー周辺の景色とはうって変わって、この町は緑に溢れていた。
頭に花飾りをつけた女性たちが杏を集めている姿は
幻想的で、どこか白昼夢のようでさえあった。

私はこの町で初めて「民泊」をさせてもらうことになった。
笑顔が可愛い少年ニマと、人懐っこい赤ちゃんドルマのいる家庭。
私は夕食の支度を手伝わさせてもらったりしながら楽しい時間を過ごした。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月7日 曇

村には人の気配がほとんど感じられなかった。
店というものもほとんどなかった。
私は小さな商店を2軒だけ見つけることができた。
美人が多いとガイドブックに書いていたけれど
若い娘さんたちは、出稼ぎにいったのか一人もいなかった。
きっと美人であったであろう老婆たちは、杏を収穫していた。
時間の流れ方が、まったく違って感じられた。

夕方になると学校から戻った子供たちが群がってくる。
彼らは皆人懐っこく、可愛かった。

この村に来てよかったと思う。
杏以外、これといって何もないこの小さな村は
私をやさしい気持ちにさせてくれた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月8日 晴れ

ラマユルゴンパへ。
「月の世界」とガイドブックに書かれているラマユルの景色。
期待値を上げすぎると、ろくなことはないと思った。
景色の雄大さで言ったら、マナーリからレーへの道のほうがはるかに素晴らしい。
もの凄い悪路で、景色どころではないかもしれないけれど、本当にそう思う。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月9日 曇
ラマユルゴンパから、再びアルチゴンパへ。
レーへの帰途の途中、アルチゴンパを再び訪ねた。
いくつものゴンパを巡ったが、アルチゴンパは本当に美しい。
カシミール形式で描かれた、ターラー菩薩にはうっとりする。
さて、久々のレーの町。
荷物を預かってくれていた宿のおばあちゃんは、私の帰りが遅い遅いと心配していたらしく、帰った途端に思い切り抱きしめられた。そしてしばらくすると、私をペシペシと叩き始めた。「ごめんね、ごめんね。」と私は謝る。おばあちゃんは涙ぐんだ瞳で、もう一度私を強く抱きしめる。
優しくなりたいな。と私は思う。
ペシペシと観光客を叩けるくらいに、私は優しくなりたい。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月10日
明日の朝、レーを発つ。
マナーリの道は数日間閉ざされているという。
私はカルギル・スリナガル経由でダラムサラに帰ることにした。
ほとんど毎日のようにギンドゥンの店に顔を出していた。

英語が話せないギンドゥンと
チベット語も中国語も話せない私。
いつも誰かに通訳してもらいながら私たちは会話を楽しんでいた。
言葉が通じなくても、人のことを大好きになることはある。
いつも温かい笑顔で迎えてくれたギンドゥン。
冗談が好きで、だけど歴史の話になると誰よりも真剣になるギンドゥン。
私の大切な大切な友人。

さよならのしるしにチベットの習慣にならってカタ(白い絹のストールのようなもの)をギンドゥンの首にかけたとき、胸がいっぱいになって思わず抱き寄せた。
だれかを好きになると、その町がもっと好きになる。
そして、当然その土地から離れがたくなる。

来年また来たならば一緒にザンスカールに行こうとギンドゥンは言った。
その頃には、私も少しはチベット語が話せるようになっているかな。
そうなったら、どんなにか楽しいだろうと、今からわくわくする。
さようなら、ラダック。
さようなら、私の大切な友達。
「ラダックでの日々9月編」、今更ですが更新します。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月1日 晴れ
ラダックフェスティバル初日。
きらびやかな衣装に身を包んだ人々が音楽を奏でながら町中を行進した。
観光客はカメラを必死に構えながら、その行進を追っていった。
真っ青な空に、鮮やかな衣装が眩しかった。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月2日 晴れ
楽しみにしていた仮面踊り「チャム」。
ゆるやかな動きと、少し滑稽な動き。
宗教的意味が全くわからない私でも、楽しむことができた。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月3日 雨
友人の経営するアムドレストランでチベット語の練習の日。
チベットの暦の占いの本で、ギンドゥンは私を調べた。
「時々、激しい倦怠感に襲われることがあるでしょ。
あとお尻に黒子があるはず。」と彼は言った。
半分当たっていた。
調べてみたけれども、黒子はなかった。
激しい倦怠感は、しょっちゅう私を襲う。
英語を話せるチベタンを介して、そう彼に伝えると
チベットの暦をまるで信じている彼は、
「いやいや。あるはずだ。」と言い切った。
けれどやっぱり黒子なんてなかった。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月4日 晴れ
ストライキの日。
町中の店が閉まっている。
パン屋さえ開いておらず、あたりはしんとしている。
なんだか違う町に来てしまったみたいな感じだ。
理由を聞いても、人によって言う理由が違う。
スタクナゴンパ、ストック王宮、ストックゴンパへ観光に繰り出す。
夕方にはストライキも終わっているだろうと踏んでいたのに
帰ってきたレーの町はひっそりと静かなままだった。
寒かった。空腹で、余計に身体が凍えた。
宿の人が作ってくれたカップラーメンが心に沁みた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月5日 晴れ
サスポルへ。
このサスポルにあるゴンパは「洞窟ゴンパ」だ。
「洞窟」という言葉に、ドキドキするのはきっと私だけではないはずだ。

カラカラの岩山に小さな穴が幾つも開いている。
観光客は誰もおらず、辺りはしんとしていた。

中は薄暗く、お香か何かの妙な匂いが漂っていた。
懐中電灯で灯すと、壁一面に描かれた壁画が広がった。

洞窟の中でポツンとひとり、佇んでいるというのは
私をなんとも幸福な気持ちにさせた。
私は、ここから動きたくなかった。
帰りのバスのことなんて考えずに、
ここでこうしてじっとしていたいと思った。
やがて西洋人のトレッキング一行がぞろぞろとやってきて
私の幸福な時間はあっさりと終わった。
いそいそと急いで岩山をくだり、バスに乗ってレーに戻った。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月6日 晴れ

花の都、ダーの町へ。
レーから北西部、ダーの町へ行った。

カラカラに干上がったレー周辺の景色とはうって変わって、この町は緑に溢れていた。
頭に花飾りをつけた女性たちが杏を集めている姿は
幻想的で、どこか白昼夢のようでさえあった。

私はこの町で初めて「民泊」をさせてもらうことになった。
笑顔が可愛い少年ニマと、人懐っこい赤ちゃんドルマのいる家庭。
私は夕食の支度を手伝わさせてもらったりしながら楽しい時間を過ごした。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月7日 曇

村には人の気配がほとんど感じられなかった。
店というものもほとんどなかった。
私は小さな商店を2軒だけ見つけることができた。
美人が多いとガイドブックに書いていたけれど
若い娘さんたちは、出稼ぎにいったのか一人もいなかった。
きっと美人であったであろう老婆たちは、杏を収穫していた。
時間の流れ方が、まったく違って感じられた。

夕方になると学校から戻った子供たちが群がってくる。
彼らは皆人懐っこく、可愛かった。

この村に来てよかったと思う。
杏以外、これといって何もないこの小さな村は
私をやさしい気持ちにさせてくれた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月8日 晴れ

ラマユルゴンパへ。
「月の世界」とガイドブックに書かれているラマユルの景色。
期待値を上げすぎると、ろくなことはないと思った。
景色の雄大さで言ったら、マナーリからレーへの道のほうがはるかに素晴らしい。
もの凄い悪路で、景色どころではないかもしれないけれど、本当にそう思う。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月9日 曇
ラマユルゴンパから、再びアルチゴンパへ。
レーへの帰途の途中、アルチゴンパを再び訪ねた。
いくつものゴンパを巡ったが、アルチゴンパは本当に美しい。
カシミール形式で描かれた、ターラー菩薩にはうっとりする。
さて、久々のレーの町。
荷物を預かってくれていた宿のおばあちゃんは、私の帰りが遅い遅いと心配していたらしく、帰った途端に思い切り抱きしめられた。そしてしばらくすると、私をペシペシと叩き始めた。「ごめんね、ごめんね。」と私は謝る。おばあちゃんは涙ぐんだ瞳で、もう一度私を強く抱きしめる。
優しくなりたいな。と私は思う。
ペシペシと観光客を叩けるくらいに、私は優しくなりたい。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
9月10日
明日の朝、レーを発つ。
マナーリの道は数日間閉ざされているという。
私はカルギル・スリナガル経由でダラムサラに帰ることにした。
ほとんど毎日のようにギンドゥンの店に顔を出していた。

英語が話せないギンドゥンと
チベット語も中国語も話せない私。
いつも誰かに通訳してもらいながら私たちは会話を楽しんでいた。
言葉が通じなくても、人のことを大好きになることはある。
いつも温かい笑顔で迎えてくれたギンドゥン。
冗談が好きで、だけど歴史の話になると誰よりも真剣になるギンドゥン。
私の大切な大切な友人。

さよならのしるしにチベットの習慣にならってカタ(白い絹のストールのようなもの)をギンドゥンの首にかけたとき、胸がいっぱいになって思わず抱き寄せた。
だれかを好きになると、その町がもっと好きになる。
そして、当然その土地から離れがたくなる。

来年また来たならば一緒にザンスカールに行こうとギンドゥンは言った。
その頃には、私も少しはチベット語が話せるようになっているかな。
そうなったら、どんなにか楽しいだろうと、今からわくわくする。
さようなら、ラダック。
さようなら、私の大切な友達。
ラダックでの日々 8月編
みなさまお久しぶりです。
先日、レー・ラダック地方から帰ってきました。

美しい雄大な自然とラダッキー、チベタンの優しさに
すっかり癒されて戻ってまいりました。
基本的に寝坊助のこの私が、毎朝6時頃には起きだして、
朝一番のバスでチベット寺(ゴンパ)を巡るそんな毎日。
あんまり書くことがありすぎるので、
ラダックでの日々は全て日記より抜粋です。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月19日 晴れ、時々雪 @ケイロン→レー
朝4時起床。5時のバスでレーに向かう。
寒くて凍える。景色は美しい。途中粉雪がちらついた。
標高5000mを越え、ひどい頭痛を感じる。
ローカルバスのひどい揺れ。この旅一番の悪路。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月20日 晴れ @レー
身体中が痛い。妙な筋肉痛はおそらくバスのせい。
あまりの寒さにビビり、防寒具にフリースを買う。
ゴンパ(チベット寺)見学用にヘッドライトも購入。
ダラムシャーラーの友人、Sopaの友人のレストランを訪ねる。
Sopaの友人、Gindenは英語が通じなかった。これは困った。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月21日 快晴 @レー
太陽が近い。空が青い。
高山病の頭痛は治まったものの、3000mの高度の所為ですぐに疲れる。
Gindenたちと一緒に明日のダライラマのティーチングに行く約束をした。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月22日 快晴 @チョグラムサル
朝5時半起床、6時半待ち合わせ。
隣町チョグラムサルに向かう。

初めてお目にかかる、ダライラマ14世。
チベット仏教の拝み方「五体投地」は少しムスリムの祈り方に似ていると思った。残念ながらダライラマ14世が何を語っていたのかは、ひとつも理解できなかったけれど民衆に愛されている姿をこの目で見ることができてよかったと思う。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月23日 晴れ @チョグラムサル、ティクセ
寝坊。8時頃、ダライラマ14世のティーチングへ。
外国人用席というものを見つける。
同時通訳の英語は私の英語力では理解できなかった。残念。
民族衣装で着飾っているラダッキーやチベタンの撮影に勤しむ。

午後、ティクセゴンパへ。
ものすごい迫力のかっこいいゴンパ。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月24日 晴れ @チョグラムサル、スピトク
ダライラマ14世のティーチングの外国人用席で号泣している人がいた。
胸が苦しくなった。
私は今までの人生の中で仏教について知ろうとしてこなかった。
今は知りたいと素直にそう思う。
辞書を片手にチベット仏教についての本とダライラマ14世の本を読み始めた。
本当は早く日本語で読みたい。

今日はティーチング中に、例の赤い糸が配られた。
さっそく右手に結んだ。
午後は、スピトクゴンパへ。
「密教旅行」日本人ご一行様に遭遇。
チャムの面が飾られているゴンカンの雰囲気がとても素敵だった。
残念ながらゴンカンは写真撮影禁止。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月25日 晴れ @チョグラムサル、シェイ
ダライラマ14世のティーチング最終日。
午後、シェイゴンパへ。確かに壁画が美しい。

そして近場のチョルテン群(仏塔)付近の散策。
バラナシに始まり、デリー、アムリトサル、バラムシャーラーと
やたらと遭遇するリョー君にここで再びばったり遭遇。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月26日 晴れ @へミス、タクトク
朝9時半のバスでへミスゴンパへ。
びっくりする程に観光客だらけ。
お土産やさんまで立派。お金持ちゴンパ。

グル・リンポチェ像は迫力あったけど、
とにかく人が多すぎて、私はこういう場所が苦手だ。
ササッと見学を済ませてタクトクゴンパへ移動。
タクトクゴンパは人影のない静かなゴンパ。
こういう場所が好き。
私一人のためにひと部屋ひと部屋開錠していただく。
ありがたい。
帰りのバスが来ず、通りすがりの車を乗り継いでレーまで帰る。
今日は3台の車に乗せてもらった。
噂以上にヒッチハイクが容易な、優しい町。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月27日 @リキール、アルチ
朝8時のバスでリキールゴンパへ。
直通のバスはなく、途中の道で降ろされる。
聳える裸の山々。灼熱の太陽の下、歩き始める。
やがてお坊さん4人組の車に拾われ、ゴンパへ。

ゴンパの隣にある小僧さんたちの学校を見学した。
読経の勉強をする姿が愛くるしい。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月28日 @レー
6時起床、ひどい筋肉痛。
今日はマトゴンパに行く予定だったけれど起きたくなかった。
毛布にくるまり、そして二度寝。
午後、辞書を片手に読書をしたり、手紙を書いたりして過ごす。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月29日 @チェムレ
朝9時半のバスでチェムレゴンパへ。
フレンドリーな修行僧さんたちに声をかけられて
お茶をいただき、お昼までごちそうになる。

案内された修行僧さんの部屋は想像した部屋と違った。
テレビもあったし。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月30日 雨のち晴れ @パンゴンツォウ
朝5時半集合。日帰りでパンゴンレイクへ。

光り輝く湖。私は南米ペルーのチチカカ湖を思い出す。
中国実効支配線がすぐそこに迫っているため、
チベット難民は現在この美しい場所を訪れることが出来ないという。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月31日 曇、時々雨
マトゴンパに行きたかったのはヤクの剥製があると聞いていたからだ。
観光客は台湾人女性と私だけだった。
お坊さんたちに誘われてまたまた昼ご飯をご馳走になる。
そして少し離れた、小僧さんたちの学校へ。
一緒に折鶴を折って遊んだ。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
こんな感じで毎日飽きることなくゴンパを巡っておりました。
次回9月編へつづく。
(ミクシィの方に動画もアップしました)
先日、レー・ラダック地方から帰ってきました。

美しい雄大な自然とラダッキー、チベタンの優しさに
すっかり癒されて戻ってまいりました。
基本的に寝坊助のこの私が、毎朝6時頃には起きだして、
朝一番のバスでチベット寺(ゴンパ)を巡るそんな毎日。
あんまり書くことがありすぎるので、
ラダックでの日々は全て日記より抜粋です。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月19日 晴れ、時々雪 @ケイロン→レー
朝4時起床。5時のバスでレーに向かう。
寒くて凍える。景色は美しい。途中粉雪がちらついた。
標高5000mを越え、ひどい頭痛を感じる。
ローカルバスのひどい揺れ。この旅一番の悪路。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月20日 晴れ @レー
身体中が痛い。妙な筋肉痛はおそらくバスのせい。
あまりの寒さにビビり、防寒具にフリースを買う。
ゴンパ(チベット寺)見学用にヘッドライトも購入。
ダラムシャーラーの友人、Sopaの友人のレストランを訪ねる。
Sopaの友人、Gindenは英語が通じなかった。これは困った。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月21日 快晴 @レー
太陽が近い。空が青い。
高山病の頭痛は治まったものの、3000mの高度の所為ですぐに疲れる。
Gindenたちと一緒に明日のダライラマのティーチングに行く約束をした。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月22日 快晴 @チョグラムサル
朝5時半起床、6時半待ち合わせ。
隣町チョグラムサルに向かう。

初めてお目にかかる、ダライラマ14世。
チベット仏教の拝み方「五体投地」は少しムスリムの祈り方に似ていると思った。残念ながらダライラマ14世が何を語っていたのかは、ひとつも理解できなかったけれど民衆に愛されている姿をこの目で見ることができてよかったと思う。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月23日 晴れ @チョグラムサル、ティクセ
寝坊。8時頃、ダライラマ14世のティーチングへ。
外国人用席というものを見つける。
同時通訳の英語は私の英語力では理解できなかった。残念。
民族衣装で着飾っているラダッキーやチベタンの撮影に勤しむ。

午後、ティクセゴンパへ。
ものすごい迫力のかっこいいゴンパ。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月24日 晴れ @チョグラムサル、スピトク
ダライラマ14世のティーチングの外国人用席で号泣している人がいた。
胸が苦しくなった。
私は今までの人生の中で仏教について知ろうとしてこなかった。
今は知りたいと素直にそう思う。
辞書を片手にチベット仏教についての本とダライラマ14世の本を読み始めた。
本当は早く日本語で読みたい。

今日はティーチング中に、例の赤い糸が配られた。
さっそく右手に結んだ。
午後は、スピトクゴンパへ。
「密教旅行」日本人ご一行様に遭遇。
チャムの面が飾られているゴンカンの雰囲気がとても素敵だった。
残念ながらゴンカンは写真撮影禁止。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月25日 晴れ @チョグラムサル、シェイ
ダライラマ14世のティーチング最終日。
午後、シェイゴンパへ。確かに壁画が美しい。

そして近場のチョルテン群(仏塔)付近の散策。
バラナシに始まり、デリー、アムリトサル、バラムシャーラーと
やたらと遭遇するリョー君にここで再びばったり遭遇。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月26日 晴れ @へミス、タクトク
朝9時半のバスでへミスゴンパへ。
びっくりする程に観光客だらけ。
お土産やさんまで立派。お金持ちゴンパ。

グル・リンポチェ像は迫力あったけど、
とにかく人が多すぎて、私はこういう場所が苦手だ。
ササッと見学を済ませてタクトクゴンパへ移動。
タクトクゴンパは人影のない静かなゴンパ。
こういう場所が好き。
私一人のためにひと部屋ひと部屋開錠していただく。
ありがたい。
帰りのバスが来ず、通りすがりの車を乗り継いでレーまで帰る。
今日は3台の車に乗せてもらった。
噂以上にヒッチハイクが容易な、優しい町。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月27日 @リキール、アルチ
朝8時のバスでリキールゴンパへ。
直通のバスはなく、途中の道で降ろされる。
聳える裸の山々。灼熱の太陽の下、歩き始める。
やがてお坊さん4人組の車に拾われ、ゴンパへ。

ゴンパの隣にある小僧さんたちの学校を見学した。
読経の勉強をする姿が愛くるしい。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月28日 @レー
6時起床、ひどい筋肉痛。
今日はマトゴンパに行く予定だったけれど起きたくなかった。
毛布にくるまり、そして二度寝。
午後、辞書を片手に読書をしたり、手紙を書いたりして過ごす。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月29日 @チェムレ
朝9時半のバスでチェムレゴンパへ。
フレンドリーな修行僧さんたちに声をかけられて
お茶をいただき、お昼までごちそうになる。

案内された修行僧さんの部屋は想像した部屋と違った。
テレビもあったし。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月30日 雨のち晴れ @パンゴンツォウ
朝5時半集合。日帰りでパンゴンレイクへ。

光り輝く湖。私は南米ペルーのチチカカ湖を思い出す。
中国実効支配線がすぐそこに迫っているため、
チベット難民は現在この美しい場所を訪れることが出来ないという。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
8月31日 曇、時々雨
マトゴンパに行きたかったのはヤクの剥製があると聞いていたからだ。
観光客は台湾人女性と私だけだった。
お坊さんたちに誘われてまたまた昼ご飯をご馳走になる。
そして少し離れた、小僧さんたちの学校へ。
一緒に折鶴を折って遊んだ。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
こんな感じで毎日飽きることなくゴンパを巡っておりました。
次回9月編へつづく。
(ミクシィの方に動画もアップしました)