愛2018(小林)ブログ -9ページ目

愛2018(小林)ブログ

私とまわりの方が幸せなればと思いブログをはじめました。

2017/3/11河北新報<震災6年>

宮城県石巻市大川小学校遺族 会って抱き締めたい

(※記事内の名前は仮名です)

 

東日本大震災の発生時刻の午後2時46分。

追悼のサイレンが響いた。

あの日から6年。参列者が静かに手を合わせる。
その瞬間、寒風が校舎を吹き抜けた。

雲間から漏れた陽光が慰霊碑を照らす。

 

児童74人と教職員10人が犠牲となった

宮城県石巻市大川小学校校舎。

3/11日に営まれた法要に

石巻市の佐藤さん(52)もいた。

大川小6年だった次女の由衣さん=当時(12歳)を亡くした。
妻(50)と長女(20)、三女(12)らと共に黙とうをささげた。

「由衣が生きていたら18歳だよね。

会いたいね。会って抱き締めたい」

目が涙でにじんだ。

 

津波が学校を襲った2日後の2011年3月13日。

佐藤さんは校舎西側の山沿いで、由衣さんを捜していた。

軍手をして必死に土砂を掘る。

小さな足が見えた。

上靴のかかとの部分に名前が書いてあった。
「由衣だ! 由衣!」。呼び掛けても返事はない。

眼鏡を掛け、通学用ヘルメットをかぶったまま。

眠っているかのような表情で、下唇をかみしめていた。

身長約145センチ。

その小さな体を佐藤さんは抱き上げた。

自分の額を顔に当て大声で泣いた。

山に登って助かっている。

そんないちるの望みが、絶たれた。

 

佐藤さんは震災後、何度も被災校舎へ通った。

各地から訪れる人々に大川小の出来事を語り伝えている。
教室のロッカー

廊下の上着掛け。

そこに児童一人一人の名前を記したシールが残っている。

由衣がいる。

そっとなでながら、存在を確かめる。
由衣を見つけた場所で話をするのはつらい。

でも、後世に伝え続けなくてはいけない。

あの子たちの尊い命を多くの人の心や記憶に刻んでほしい。

 

震災から巡ってきた7度目の春。

長女は上京し、社会人として独り立ちする。

三女は小学校を卒業、中学校に進む。

身長は150センチ台。

たまに由衣そっくりの表情、声になる。

 

形見に1通の手紙がある。

題名は「20歳の由衣へ」。

由衣さんが震災2日前の3月9日に記していた。
<大川小はどうなってますか? 

これからも体に気をつけて、早死(に)すんなよ。

クラスの人の人生はどうなっているかねぇ。

これからも過去を大事にしてね。12歳の由衣より>

 

何かを悟っていたかのような内容に鈴木さんは思う。

人生の終わりが決まっていたのなら、

変えることはできなかったのか。

あの日が最後だと分かっていたら、

抱き締めて決して離さなかっただろう。

 

「長女と三女には由衣の分まで幸せになってほしい。

由衣。ママと長女、三女を守ってください」
早世した娘の七回忌に一人の父親として願う。

 

 

※2012年7月 大川小学校にて撮影