こんにちは!あいりんです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
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自 殺 の 練 習
私は12歳。小学校6年生でした。
私に手を上げるお母さんが怖くて、恐怖で、私はいろんなことを隠すように嘘をついたりしていました。
誰も私を守ってくれないし、自分の守り方もよくわからなくて、自然と嘘をついたり、本当のことを隠したりするようになっていました。
そしたら、とうとう私は母から
「死んじまえ!」
と、いつものように暴力を振るわれながら言われてしまいました。
髪を引っ張って振り回され、床に引きずられ、倒れた私の背中を蹴り続け、そう言われたのです。
私はもう、身体を起こすことが出来ない。
痛いからじゃない。
私は母にとって要らない存在だったから、暴力を振るわれていたんだと、そのとき初めて気付いて絶望したからです。
目の前が真っ暗になって、もう私は終わりなんだって思いました。
12年の人生の中で生まれて初めての絶望を経験しました。
でも私は、お母さんが好きだったよ。
おばあちゃん家に1年預けられてたときも。
ずっと、お母さんのこと待ってた。
また一緒に暮らせて、嬉しかった。
私には、お母さんだけだったから…
そんな私の気持ちも、もちろん言葉に出来ない。
私は倒れたまま静かに泣きました。
母が部屋から出て行ったあとも、私は床に横たわったまま。
力が…入らない…
あれだけ髪を引っ張られて、引きずられて、蹴られたけど、痛くはなかった。
もう、痛みには慣れてた。
ちょっと、身体が重いだけ。
なんだか、もう…疲れちゃったな…
もう、泣くのも疲れちゃったし。
ずっと、こうして倒れたまま…動きたくないな。
このまま私の身体なんか動かなくなればいいのに。
私に、朝なんか来なければいい。
しばらく横になったまま、涙で滲む私の目の前に、部屋の窓があって、それを見つめました。
そこからは、曇った灰色の空が見えました。
ここはマンションの5階の部屋。
そうだ…
私…お母さんに言われた通りにしなくちゃ…
でも…
どうしたら死ねるんだろう…
飛び降りたら死ねるの?
生きてたらどうしよう…
死ぬなら…ちゃんと、死なないといけないよね。
生きてたら、また怒られちゃうよ。
頭を下にして落ちたら死ねる?
重い身体をやっと起こして、フラフラと立ち上がり、部屋のベランダに小さな椅子を用意して、そこに立ち、シュミレーションしました。
身を乗り出して、頭から落ちていくイメージをする。
ちょっと高さが足りないかな。
でも、きっと運良く打ちどころが悪ければ死ねるよね。
その日から私は毎日ベランダに出て、自殺の練習をしました。
まだ生きていてごめんなさい。
私ちゃんと死ぬから。
私は、お母さんに好かれなかった。
だから、せめてお母さんの願いを叶えてあげたいの。
私の大好きなお母さんの願いは、私が死ぬこと。
今 を 精 一 杯 生 き る 歌
生きた心地のしない日々。
ずっとふわふわと宙に浮いている感覚。
でも学校は休まない。
学校の方がマシだった。
ランドセルを背負ってずっと下を向いて通学路を歩く毎日。
きっとお母さんは、翌日になったら「死んじまえ」って言ったことも忘れたんだろうけど。
それでも私は家では毎日ベランダに出て。
頭を下にして、身を乗り出して…
毎日そんなことをしていました。
そんな私に転機が訪れます。
私は、ある日本のバンドの曲に出会いました。
当時は今ほど知名度も人気もなかった頃、そのバンドは「今を精一杯生きる歌」を歌っていたのです。
その曲の主人公は、精一杯生きた後に死んでしまうんです。
私は、その曲を聴いて
「この人たちは今を精一杯生きてるのに、なぜ私は今こうして死のうとしてるんだろう」
と、ハッとしたんです。
そして、自ら命を絶とうとしていた自分を恥じました。
私は精一杯、生きないまま死のうとしてた。
それでいいの…?
別に人から嫌われたっていい。
誰も信用できなくなったっていい。
孤独になったっていい。
どんなツラいこと苦しいことがあったっていい。
ただ、それでも、生きることだけは忘れちゃいけない。
それ以外はどうでもいいから。
とりあえず生きてみよう。
とにかく精一杯、生きよう。
その歌を聴いて、そう思いました。
その瞬間、私は死にました。
とても不思議な体験ですが、私は生きたまま死ぬことが出来ました。
もちろん記憶はあるけど、それまでの自分が全てリセットされて、とにかく"生きる"という、人間にとって一番大切な土台が生まれました。
ただ生まれ変わったので、生きる土台以外は何も持っていません。
これから拾い集めて、建て直していくんです。
私 の 生 き て い く 意 味
何がこの世に、私を引き留めたんでしょうか。
思いとどまってる間に、今を生きるあの歌に出会えて良かった…なんて思う日が、いつか来るのでしょうか。
当時の私は、まだその先の未来に興味は持てなくて。
「今」この瞬間に必死で食らいついて。
「今」に興味を持つようになりました。
なんの価値もない私が、ただ生きるところから始まります。
12歳で私は一度死に、生まれ変わりました。
ただ、生きていればいい。
ちゃんと精一杯生きて、力強く生き抜く。
とにかく今はそれだけ持っていればいい。
それから毎日、生きることだけを意識していきました。
「今」という、この瞬間瞬間を大切にしていたら、きっと未来に繋がっていくかもしれない。
「生きたい」という思いが強く、私の中に深く根を張っていきました。
私はこうして、小学校を卒業していきます。
〜 あ と が き 〜
※このあとがきは
の記事の分からまとめてあります。
当時の鮮明に覚えてる記憶を、呼び覚まして書きました。
自分の目に写る風景とか、傷が出来た私の目を心配してくれた学童の先生の表情とか、クラスの先生のこととか、声とかも全て思い出せました。
なるべくそのときの私の状況や気持ちに沿って書きました。
ただ、当時の私は「虐待」なんて、そんな言葉も知らない、まだまだ幼い子供でした。
子供の頃の私は、母親の言うことは絶対だった。
私だけじゃなく、多くの子供にとって母親は絶対的存在だと思います。
だから、ただただ耐えるしかなかったんです。
「耐えることしか知らなかった」んです。
当時は「自分が悪いから」と思っていましたが、今なら違うとわかります。
あれは
「しつけ」なんかじゃありません。
「虐待」なんです。
ただ私は手を上げる母が恐怖で…
でも母のことは好きで…
抵抗も出来ないし、誰にも助けを求められなかったから、本当に誰にも頼らずに一人で乗り越えてきました。
ここに書かれている当時の虐待の事実は、私がひたすら隠し続けたため、家に居て目撃した家族以外、当時は誰も知りませんでした。
だから本当に一人で乗り切って、"生き延びた"っていう感じです。
今の私の精神的な強さとか、根性あるとことか、我慢強さとかは、そこが原点かもしれませんね。
あとは当時ピアノとダンスをやっていたから、誰にも相談できなかったり、助けを求められなかった分、そういう芸術的な表現が逃げ場になっていたのかもしれません。
それから勢いでも、冗談でも、自分の子どもに死を希望するような言葉を言ってはなりません。
もちろん自分の子どもでなくても、絶対に言ってはなりません。
子供は純粋で、言われたら本当にその通りにしてしまう子供だって居ます。
世の中には、学校の先生が生徒に言って、本当に自殺してしまった子供だって居ましたよね。
自分の吐いた言葉も、その子の命も、もう取り返すことは出来ないのです。
言葉の重さ、命の尊さを、今一度考えてみてほしいのです。
私も言われた通りにしようとしていました。
まだ子供の私は、一番側にいる大人である母親を信じるしかなかった。
父親も居ない、間に入って止めてくれる人も居ない、事実は他の誰も知らないから自分で考えるしかなかった。
でも、私はタイミング良く、音楽、歌に救われました。
あんなに一生懸命生きることを歌った歌を、私はそれまで聴いたことがなかったから。
私も、あの「気づき」がなければ、とっくにあの頃12歳で人生を終わらせていたでしょう。
ある意味では、本編で書いた通り本当に死んだんですけどね。
死にたかった自分が、自分の中で静かに死んでいきました。
絶対に生きなきゃいけないわけじゃありません。
"とりあえず生きてみよう"
が、まず大切なんです。
そういう強い信念の土台が出来てからは、私はツラいことがあっても死のうとすることは一切なくなりました。
あれから今まで一度もありません。
楽しい記憶はやっぱりこの虐待の日々で、ほとんど吹っ飛んでいて思い出せなくて…
友達と遊んだ記憶や学校のこと、ピアノやダンスのことは覚えてるけど、家でのことや家族で過ごしたことなどは、ここに書いたような記憶しかないんです。
たくさん頭たたかれて、頭を床に打ちつけられたから、記憶飛んじゃったのかな?笑
でも…
大人になって、このような写真を見つけたんです。
弟と楽しそうに遊んでる写真です。
でも私、一切覚えてないんです。
だから前も言った通り、別の子供の写真見てるようで不思議なんですよね。
覚えてないから、そう簡単には「良かった」とも思えない。
なんだかこのような楽しい写真を見てると気持ちが悪いような感覚になるんです。
酷くツラい記憶とは反対に、写真はいい部分だけが切り取られて、残されているから。
自分の中では、これはパズルのピースで、ピースが合わないような感覚なんです。
パズルのピースが私の記憶の中の、どこにも当てはまらないから、気持ちが悪い。
恐ろしい映像だけがずっと目の前で流れていて、手元にある楽しいパズルはずっと完成しないまま…。
ただ弟とは仲は良かったですよ。
弟を想う、その気持ちだけは覚えています。
私は長女だから面倒見が良くて、いつも一緒に遊んでいた記憶はあります。
そして母は弟には一度も手を上げたことがない。
私にとって大切なたった一人の弟だから、痛くてツラい思いしたのが私だけで…良かったな。
それだけは救いです(*^^*)
私が自殺を初めて考えたのは小学6年生、12歳のときでしたが、世の中には私が自殺を考えた歳よりもっと幼い子が自ら命を絶ったりしているじゃないですか。
イジメや虐待が原因で…
そういうの見ると、すごく悲しくなります。
誰にも救われなくて一人ぼっちで死んでいった子供が居ると思うと、すごくツラいです。
そういう子供がちゃんと生きて、愛情のある人に巡り会って愛を知り、大人になれることを祈るばかりです…。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
次回は、その後の出来事と中学時代を書いていきます。
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BUMP OF CHICKEN
「ガラスのブルース」