終戦記念日に寄せて 1 | ぽち太の寝言は寝て言え

ぽち太の寝言は寝て言え

その日、その時、思ったコト、したコトをありのままに書いてます 気楽にやりましょー(^-^)/

会社ビルのカレンダー上では、明日から盆休みのぽち太ですニコニコ

いつもバカ丸出しのブログばっかり書いているぽち太が、どう言う風の吹き回しかマジメな話をしようとしていますシラー
決して暑さにヤられた訳ではありませんガーン

毎年この時期になると、テレビテレビでも戦争関連のドラマ等が多数放送されたり、ドキュメンタリー等による検証番組もよくあります

最近では、憲法改正が政治の大きな課題になったりしていますが、今回は難しい話は一旦置いといて、ぽち太の身近なトコロからお話します

実はぽち太の叔父にあたる人が、沖縄戦で戦死しています。

数年間、以前勤務していた会社ビルの永年勤続のご褒美で5万円分の旅行券をもらったので、めったに行くコトがないであろう沖縄へ向かいました

名古屋港から(当時はあったけど、現在は会社が倒産ショック!あせる)船船に揺られるコト2泊3日

朝、目覚める度に海波がキレイになっていくのに、ワクワクしてましたニコニコ

上陸してみて、更に美しい海波と穏やかな人々、ゆったり流れる時間に蕩けていく自分が心地よかったのを良く覚えています

しかし、オカンから聞かされていた件の叔父のコトを思い、平和祈念公園に立ち寄った時、丘を埋め尽くすように立ち並ぶ戦没者の方々の名を刻んだ碑を見てホントに呆然としたものでした

テレビテレビや文献で戦死者○十万人とか聞くより、この丘に立った時圧倒的な現実味を感じます

ここに眠るのは、軍籍のあった人達だけかもしれません
もし、民間人の方が含まれていないとすると、一体どれだけの方が亡くなったのか…
そこには、数字と言うデータでなく、圧倒的な現実だけがありました

そして、その膨大な戦没者碑の中から叔父の名前を見つけたとき、オニのぽち太でさえ込み上げるものがありました

ココに来る前、ひめゆり記念館に寄って来たんですが、館内各所に置かれた戦争体験談をまとめた冊子で、特に記憶に残っていたある兵隊さんの話があります

住民の方々と一緒に避難を続ける、とても優しい兵隊さん(多分、小隊長か分隊長クラス)が、突然鬼の形相で住民達を壕から出て行くように命令しました
他に行くあての無い住民の方々は、一緒に居られるよう必死に頼みますが、兵隊さんは軍刀を振りかざしてまでも住民達を追い出します
住民達達は他の兵隊さんと違って、自分達を守ってくれる優しい兵隊さんだと思っていたけど、結局他の兵隊さんと同じだったかと壕を出ます
しかし、それから僅か後、さっきまでいた壕の方角から銃撃戦の音が響きます
この兵隊さんは、米軍の接近を知り、自分達は逃げる訳にはいかず、住民達を巻き添えにしないために鬼となって住民達を逃がしたのでした

ぽち太も婆ちゃん(故人)から、戦死した叔父はとても優しい人柄だったと聞いていたので、せめて叔父がこんな兵隊さんだったと思いたい…

優しい叔父は、その最期に何を見て何を思ったのだろう…

ぽち太は右でも左でもありませんが、どちらの方も一度はここを訪れて欲しいと思います

戦争で亡くなった人達を英霊と呼ぶのなら、彼らが望んだ日本になったのかな…
一年に一度ぐらい、こういうコトを思う日が必要ですね