他者を認めて尊重するというのは
必ず自分を守ることとセットになっている。
でもこのことって、すごく大切なことのはずなのになぜかあまり焦点があたらない。
自分を尊重できなかったら、他者を"尊重"なんてできないのに。
私は
われがまま と ワガママ を混同しないように、という表現が好きじゃない。使う相手によっては刃物にすらなる。
なぜならこのことばの並べかたって、誰かの主観をこっそり混ぜて玉虫色の同調圧力として使うこともできるから。
それが われがままであるのか、ワガママなのかを論じる主体は誰なんだろう?
曖昧な顔のない意見の介入を許す前に
自分への責任を持って
一歩立ち止まって考えるようにしたい。
同意しないことが他者を否定する訳じゃないし
違う行動を取ることがその人を尊重しない訳じゃない。
愛するという動詞と
好きという感情は全く別のものだから
そこを混同せず選択をする。
私はリスペクトしたいから
境界線を引きます。
その線こそが
それぞれの尊い輪郭になると私は思っている。