「現代科学」の最大の難問は「意識」だそうです。
 
「意識とは何か」でググると
 
①『意識とはなにか―「私」を生成する脳』…茂木健一郎
 
②『意識はいつ生まれるのか』(統合情報論)
 
③『意識とは何か』(アレン脳科学研究所)
 
④『〈意識〉とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤』…下條 信輔
 
⑤『意識の川をゆく 脳神経科医が探る「心」の起源』 …解説 by 養老 孟司
 
⑥『Newton  脳と意識: 最先端の脳科学が,最大の謎に挑む』
 
と、まあ「本の紹介」か「感想」みたいなものばかり…
これらの本を、ほとんど読んではみたけれど「意識とは何か」を説明出来ていませんでした。
 
その理由は「意識」の定義が出来ていないから…
そもそも「定義が出来る」くらいなら「難問」ではないのですが(笑)
 
「私たちは、こうゆう現象を意識と呼ぶ」
 
と定義をしないで、議論を始めるからダメなんですよ皆さん!。

 

「意識」というコトバは「イロイロ」な意味で使われます。(意識高すぎ高杉くん)参照
「意識」と呼ばれている「現象」を、「全て説明」しようとするから混乱するのです。

 

以前、このブログでは「意識の分類」をしました。
意識レベル0(昏睡)から意識レベル5(覚醒)まで「6段階」に分類しました。
 
その後「レベル」という表現は「ちょっと違うかな」と思って、
「意識0(昏睡)~意識5(覚醒)」の「6種類」としたのです。
 
しかし、この分類は「行動」に着目した「便宜的」なものです。
行動を伴わない「第7番目の意識」があるのです。
 
■意識の定義【心の声を意識と呼ぶ】
 
今回、私たちは「心の声」を「意識」と呼ぶ事にしました。
 
「心の声」とは「声に出さない独り言(ひとりごと)」の事です。
 
多くの人は「起きている間」、ずっと「頭の中」で「独り言」を言っています。
そして、それが「意識」だと思っています。「意識と勘違いしているだけ」かもしれませんが、
ここでは、それを「意識」と呼ぶことにしたのです。
 
すると、スポーツ選手がプレーをする時、「頭の中で独り言」を言っている暇はありません。
したがって、そんな時は「無意識でプレーした」と表現せざるを得ないのです。
 
「プレー中、何を考えていましたか?」と聞かれれば

「何も考えていませんでした。」と、答えるしかないのです。
そうです、「考える」も「頭の中の独り言」なのです。
 
「独り言」は「声に出す」場合と、「声に出さない」場合があります。
 
 心理学では、「声に出す場合」を「外言」、
 「声に出さない場合」を「内言」と言ったりしていますが、
 「外言」「内言」の区別はあまり「意味がない」と思っています。
 (マンガでは、「心の声が口から出てるぞ!」みたいなシーンは珍しくありません。)

 
「思考」や「意識」は、単に「口に出さない独り言」にすぎません。

 

追記
 
実は、「言葉にならない意識」や「言葉ではない思考」も存在します。
「非言語的意識」「非言語的思考」と言い換えることができます。
 
「思考」や「意識」にとって、「言語」は重要な「要素(道具?)」ではありますが、
「不可欠」ではありません。