二刀流の尾上右近「来る時が来た」 役者と清元うたい手 | 〽いとしと書いて藤の花 気まぐれお稽古日記

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右近さんは日ごろから歌舞伎大好きと言われてます。

その両方を昼夜できることはどれほど嬉しいことか。

応援させていただく側も、どれほど喜ばしいことか……。ついにですニコニコラブラブ音譜

 

歌舞伎俳優尾上右近(26)が来月、東京・歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」(11月2日~)で、役者と清元のうたい手、2つの顔で舞台に立つ。今年2月に7代目清元栄寿太夫を襲名し二刀流と話題になったが、役者、清元の両方で、同じ興行の中で出演するのは初めて。このほど右近が日刊スポーツの取材に応じた。

 


右近は、清元栄寿太夫として夜の部「十六夜(いざよい)清心」に出演する。役者として教えを請うてきた尾上菊五郎が主人公の清心を演じ、清元の家元である父清元延寿太夫、兄で三味線方の清元斎寿もともに並ぶ。役者としては昼の部「お江戸みやげ」と、夜の部「隅田川続俤(ごにちのおもかげ) 法界坊」に出演する。

※この文面の「十六夜清心」の演目は昼の部が正しいです。


-ついに、という気持ち
右近 ついに、というより、来る時が来たなという感じです。すごく楽しみです。ずっと稽古してきましたし、プロとして舞台に出ることに、(役者と清元の)違いはありません。うれしいですし、ありがたいです。


-役者と清元、切り替えは
右近 気持ちの切り替えは、付けないようにしている。舞台に出ることに関しては共通ですし、役割が違うことをやるだけ。息を吸って、吐く、というような感じです。あまり別物とは考えていないです。うたう役、だと思っています。


-出演経緯は
右近 僕がお役をいただく前に、清元サイドに、11月(清元が出る演目)は『十六夜清心』と『文売り』がありますという話が父にあったんです。その段階で、父が僕を『十六夜-』に出させたい、と。僕も清元として歌舞伎の舞台に出ることがあれば、(尾上)菊五郎のおじさんの舞台で初舞台を踏みたいと思っていましたし、それを父に相談もしていました。父が提案をしたことで、9月のはじめに、一緒に菊五郎のおじさんのところに相談に行きました。

 

-何と言われた
右近 主になる立唄、立三味線以外は、数日間や、中日でというふうに交代するんです。脇が1カ月出ることはあまりないので、父も初舞台として何日間か出したいということだったんですが、菊五郎のおじさんは「出るんだったら1カ月出た方がいい」とおっしゃってくださいました。


-清元の稽古を本格的にやるようになって変化は
右近 よく音を聞くようになりました。舞のために唄があるということの意識は強くなりました。


-いつでも出られる準備をしていた
右近 清元として早く舞台に出たいと思っていました。役者としての経験は7歳からありますが、清元として、人前でうたう経験値はまだまだなので、少しでもたくさん、転ばない程度の駆け足で修行ができればいいなと思っていました。1年1年、どこかのタイミングで(清元を)やらせていただければな、と思っていた。ただ今年は、歌舞伎の舞台は難しいかなと思っていたんですが、こういうチャンスをいただけた。願ってもない流れです。思ったより早かったというわけではないですが、いつそのタイミングがくるか分からなかった。早いにこしたことはないです。


-今、どんな稽古を 
右近 稽古はずっと続けていましたが、より本格的に清元の声を出す、という稽古を始めました。高音を出すための、のどの使い方や「十六夜-」での唄の持ち味を教わってます。気持ちでうたうことを大切にしたいです。10月は名古屋で公演なので、夜の序幕に出たら、帰ってきて稽古をしようかなと思ってます。特別な時間になると思います。


-「十六夜-」での清元の魅力は
右近 立唄が十六夜の心情を語って、清心の心情を語るのが脇唄なんです。だから、菊五郎のおじさんのつとめる清心の心情をうたうという初めての体験はすごく楽しみです。役者としては、おじさんとせりふを交わしたこともありますけど、せりふと唄で関わらせていただくのは初めてなので、すごくうれしい。理想としては、おじさんのつとめる清心がうたっているようにうたいたいです。


-両方やることが、注目されない=当たり前になることを目指している
右近 そうですね。注目を集めることが目標ではないです。役者はあこがれでやってきましたし、清元は家業と自分のルーツ。2つを自分の中で貫くことが目標なので、それぞれが好きなことというだけ。余裕でできることじゃないことこそ、チャレンジの醍醐味(だいごみ)。不安を伴わないと燃えないんです。


-めまぐるしい1年だった
右近 いろんなことに挑戦したいという思いがあったので、実現するこの時間が何をやっても楽しい、という実感につながっています。追われてる感じが心地いい。ドMです(笑い)。あがいてるということが生きるという実感です。


-二刀流と言われることは
右近 どっちも好きという気持ちです、純粋に。それができることはありがたいという感謝。心構えとしては分別のある子供でいたいというのが常の理想です。


-米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手も「打者も投手も両方好きなだけ」と言っていた。
右近 そうでしょう! (共通していて)うれしいですね。(聞き手・小林千穂)