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生徒の満足度90%超!
大学受験の予備校で、現代文の指導をしているaikoです。

「大学の、その先」を考えた教育を提案します。

 
はじめましての方はこちらもどうぞ。
リブログ、大歓迎です。
 
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色々なところで話題になる
「〇〇なんて勉強しても無駄、一生使わない」
という言説。

最近だとカンニング竹山さんの番組での
古文は不要という発言が話題でした。
 




古漢文に限らず数学不要論もよく出ますね。

我が子が
「こんなのなんで勉強しないとならないの?」
と言うのを聞いたことがある方もいるでしょう。

私もこう思ったことがあります。

この場合は「どうせ使わない/役に立たない」が切り札となると思います。











まず、仮に予備校で
つまり受験生や受験する予定のある学生が
「古文なんて勉強する必要がないじゃないですか!」と言ってきた場合。


笑顔で無視します。笑
説得もしないですね。


受験を控えている場合のこの発言は
単に「勉強したくない!」または「古文が嫌い!」という意味なので、放っておくのがベスト。

成績が良かったり好きな科目を
「必要ない/役に立たないから勉強したくない」とは
言わないので。
特に受験生は


そもそも、優秀な学生はこんなことは言いません。
知識が様々な場面で役に立つことを知っているし
単純に勉強していて楽しいし
そうじゃなくても
「必要ない/役に立たないから勉強したくない」という発想がない。

さらに、
思っていることと発言することは別なので
わざわざ言うというのはまぁ
「構って欲しい」の言い換えに過ぎないんですよね。

なので、放置。
本気でそう思っているようなら
「ただの勉強不足」と判断するだけです。
分かるようになれば 面白くなるから。



次に、大人の場合。
竹山さんは53年間生きてきて
古文が役に立った経験が一度もないみたいですが、
京都旅行をしても美術館に行っても
古文と結びつかないわけでしょう。
教養のレベルがその程度という話なので
お察しというか···そりゃそうだろうなぁで
終わると思います。

本当に優秀な方は こういった発言は
自分の無知を露呈するだけだと分かっているから
しませんよね。
なので、その程度の人なんです。
YouTubeのゲーム中継を見る方が
よっぽど役に立たないことに時間割いてますよね···








「必要」とか「役に立つ」って
色々な側面があると思います。


例えば「お金を稼ぐ」という意味では
古文は直結しないかもしれない。
一般的に「〇〇は勉強しても役に立たない」と言う場合は 「お金を稼ぐのには役に立たない」を
暗に意味しているように思います。

直結する場合もあるとは思いますけどね。
例えば商社勤めの人は
直接は源氏物語に関係なくても
商談の前後に「光る君へ」の話が出た時に
少し深い知識を披露できれば
相手に一目置かれて契約へ
ということもあるでしょう。

どこで何が役に立つかは分からないので
教養はあった方が良いと思いますが、
まぁでも一般的には
古文は「お金を稼ぐ」ことに役には立たないかもしれない。



でも例えば美術館や京都旅行で
古文の知識が役に立つことはいくらでもあります。
日本語について考えている時に
古文の知識が役に立つこともいくらでもあります。

豊かに生きるとは
金銭的な豊かさだけを
意味するわけではありません。
むしろ様々なことを楽しめることが
豊かさに繋がると思う。
役に立つことだけしかしない生が
いかに貧しいものか。

けれど、それはあくまでも
金銭的に困窮していないことが必要で。



ちなみに。

必要だ役に立つ、と分かっていても
「なぜ英語を勉強しなきゃいけないの!?」と
言う初学者は多いですよね。

なので
「〇〇なんて勉強しても無駄、一生使わない」
というのは
「勉強嫌い」
「勉強したくない」
と同義の逃げるための言説かなと思います。