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生徒の満足度90%超!
大学受験の予備校で、現代文の指導をしているaikoです。

「大学の、その先」を考えた教育を提案します。

 
はじめましての方はこちらもどうぞ。
 
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この5年くらいでしょうか。
予備校でも 学生達の所属に変化があります。
以前に比べて明らかに、
通信制の学校や大検取得者が増えている。

予備校の教え子達の場合は高校中退が多いですし、その理由も様々です。
本当は通いたかったけれど精神的金銭的理由で通えなかったということもあれば
やりたいことを優先して辞めたということもあります。

また、籍を置いていても学校に通っていなかった期間のある学生も よくいます。

様々な理由があるのに大雑把すぎますが、
ここでは「学校に通わないこと」全般を「不登校」と称して 記事を書きたいと思います。




藤井聡太さんくらい突き抜けていれば別ですが、
普通は我が子に「学校に行きたくない」「学校を辞めたい」と言われたら 動揺すると思います。
たとえ やりたいことのためだったとしても
あの藤井聡太さんのお母様でさえ「高校は卒業して欲しい」と最初は仰っていたくらいだし


それは、高校までは学校に通って卒業するのが
日本の現状として 圧倒的に多数派だからです。
大卒だって一般的です。



でも。
昨年 話題になっていましたね。






不登校や中退は、さほど珍しいことではなくなっています。








もし、我が子が不登校になったら。


もちろん理由によります。
いじめが理由なのか
他にやりたいことがあるのかでは、
向き合うべきことも違う。

通えないのか 通いたくないのか
にもよりますよね。

年齢にもよります。
小学校低学年なのか高校生なのかでは
全然違うと思います。



ですが。



どの学年でも
「学校に通う」という一点を言うなら、
私ならですけど
通わなくて良い と思っています。
長期休んで良し、転校や退学も辞さないです。
心身に弊害が出るなら 学校には通わなくて構いません。
受験を頑張った私立の学校であってもです。
我が子達にはすでに この旨は伝えています








大前提として、
私は学校には通った方が良いと思っています。
大学まで卒業した方が良い。
学歴はあった方が良いとは思っています。

なぜなら、それがだからです。

後ろめたさや変な劣等感を感じる可能性が減るし
お金も稼ぎやすいし
色々と面倒が減るしで
総合的に 生きやすいと思います。



でも逆に言うと、それだけ。
学校に行かないデメリットって
そんなに多くないと思っています。


勉強なら家や塾でやればいいし
その方が効率が良いとさえ思います
協調性は学校以外のコミュニティでも養えるし
学校に通っても協調性が身につかないこともある
むしろ変な同調圧力や理不尽を感じることなく
伸び伸びと成長するかもしれません。



なので、
「学校に行かないと、ちょっとした面倒が増えるよ。行っておいた方が楽だよ。」
というのは人生の先輩としてアドバイスすると思います。

でも、それだけです。
本人が行けないと判断するなら、
行かないで生きるために
親の私も全力を尽くします。
私から「行かない」方向に誘導することはないですけど




親が気にかけるだろうこととして
無職や引き籠もりもあると思うのですが、
極端な話ですけど私はこれらも
本人が幸せなら 構わないと思ってます。

別に働かなくても構わない。
将来にわたり 生活に困らないお金があれば。
別に家から出なくても構わない。
誰にも迷惑をかけないなら。
別に学校に通わなくても構いません。
学校が全てではない。

結局、働いたり その前段階として学校に通うのって 「生活に困らないようにするため」ですよね。
今の時代はお金の稼ぎ方なんていくらでもあるし
通販で家にいても欲しい物は手に入るし。
国民としての義務(納税など)を果たして
誰にも迷惑をかけていないなら、
皆と同じルートを辿る必要はないと思います。

仕事も学問も、
人生を豊かにして
幸せに生きるための手段でしょう。
目的は「幸せであること」なので
手段は何でも構わない。


名称が良くないですよね!
不登校って、「普通は登校するのに、登校しない」という印象が強い。
引き籠もりや無職も、ネガティブなイメージで語られてしまう。
これらの言葉には「怠けている」という印象も伴うし。
そういう例がこれまでメディア等で取り上げられてきただけで、
 学校や仕事から解放されてポジティブになった例もたくさんあるんじゃないかなと思います。
現に不登校や中退を経験した教え子達も 皆輝いてますよ。


売春がパパ活と言い換えられてしまったことで ネガティブイメージが軽くなってしまったように、
名称の力って大きいと思います。
不登校もここらへんで 呼び方を変えると良いのかも。



しょせん学校なんて
近代国家による国民製造装置です。

近代の歪みが明るみに出始めている現代、
近代のあり様を見直し始めている現代、
学校を見直すのも当然なんでしょう。
入試現代文を読んでいれば、こういう話はいくらでも出てくる


学校に行っておいた方が楽だからこそ、
むしろ不登校は、時代の変化に敏感な先駆者による選択かもしれない。
いつの時代も新しいことをする場合、先駆者達は白い目で見られたり迫害されてきたでしょう。



では我が子が不登校になった場合、
私ならどう行動するかを次の記事で書きたいと思ってます。
続く。