こんにちは、ナナです
最近コメントいただいた中で、
存在価値について思い返すことがあったので、
今日はそのことを書こうかなと思います。
私は約4年半前にパニック発作を頻発して仕事に行けなくなり、結局4ヶ月後に退職しました。
それまでは新卒で看護師として、産休育休を1年取ったものの、約14年フルタイムで働いてきました。
病棟ではリーダーや実習生の指導もしたし、大きな委員会や色々な役割を色々持たせてもらっていました。
そんな忙しい14年だったし、辛いこともたくさんあったけど、私にはこれしかないと思ってたし、先生からも頼りにされている実感が出てきてたから辞めたいとは思ってなかったときでした。
忙しかったけど、充実感のある中で『ブツッ』といきなり自分の生活の半分以上を占めていたものがなくなって。
体調も心も不安定な中、家事もろくにできず、子どもと外で遊ぶ元気もない。
車に乗れなくなって保育園には歩いて行くようになって、週一回実家に車で行ってたのも全て母に送り迎えをしてもらい…通院もいつも母に頼って。
買い物も行けない、家事もちゃんとできない、お金も稼げない、家族に頼らないといけない、
それまでそれなりにお金を稼いで車に乗って一人で自分と子供のことをしてい私は、
この世界からポーンと急に放り出された感じでした。
すると、
私って生きてる意味あるのかな。
時々思うようになりました。
虚しくて、悔しくて、
元気な時に戻りたい、なんで私なの?
こんなに一生懸命やってきたのに、なんで私がこんなふうになるの?
答えは出ないのに自問自答の日々でした。
一人でいると泣きそうになるし。
夜中に考え出して、一人で泣いてても無理で、
旦那を抱きついて子どものように泣きじゃくったこともあります。
プライドが高かった私は、そんなこと今までしたことがなかったのに。
私は何かしなきゃ、一人でぼーっとしててもいいことはないと思って、いろんなことをしました。
アメブロ始めたり、電子ピアノを買って20年ぶりに練習したり、ミサンガ作ってみたり、アロマの勉強をしてオンライン受験したり、
でも、中々そこにすぐには存在価値を見つけることはすぐにできなくて。
今振り返ると、
1番は仕事ができない、お金が稼げないことだった気がします。
ずっと看護師としての自分にプライドを持ってたので。
なので存在価値、その悩みから開放されるまでは時間がかかりました。
でも、仕事という解決できない状況の中で私に存在価値を感じさせてくれたのは、子どもでした。
当時年長さんだった子どもには私の病気はもちろん話してなくて、でも、急に仕事をお休みして歩いて保育園に行くことになって。
1月っていうちょうど寒い時期で歩いて20分かかる保育園まで歩かなきゃで、申し訳なく思っている私に、
子どもが
「車より歩きのほうがいいよ。お母さんと手を繋いでおしゃべりしながら歩けるもんね。」
って言ってくれたんです。
できないことばかりに目を向けてた私の価値観が変わった瞬間でもありました。
そして、今まで働いてたときには気付けない小さな幸せに気付く事ができるようになってきました。
外を歩いて四季を感じたり、風が気持ちよかったり。子どもと外でおやつ食べたり…
子どもはまだ6歳で私がご飯を作ったり、お風呂に入れたり、まだまだ一人じゃできないことが多くて。
そんな子どものために元気になりたい、子どもに色々してあげたい、
子どもが私を必要としてくれているなら私は頑張って生きていきたい、よくなる努力をしたい、
そう思えるようになっていきました。
今でも仕事はできていないし、お金を稼ぐことはできていないけど、
存在価値で悩むことは今はありません。
少し良くなってきてからは母には仕事を勧められることもありましたが、看護師という命への責任が重い仕事をできるまでの回復には至ってないと自分では思うので、
その覚悟ができるまでは看護師としての復職は考えていません。
数年後働けたらいいなとは思うけど、
今はそれでいいと思っています。
きっと同じように悩んでる人がいると思います。
すぐには解決しない悩みになると思います。
私の解決方法はきっと他の人には違うと思うし、きっとその人個人が見つけるものなんだと思うけど、
でも、私が思うのはなるべく一人で何もしない時間を作らないこと。
体調が悪くて動けなかったら、テレビ見るでもいい、本読むでもいい、
趣味を見つけたり、色んなものを試してみて、
まずはぼーっと考えすぎてしまう時間を作りすぎないことだと思います。
どうしても時間は必要なことだから。
ゆっくりのんびりいきましょう。
長々と思ったままに書いたので、まとまってなくてすみません。
ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。ありがとうございました。
おわり