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ソウルカラー®︎カウンセラー

ステージアップライフコーチ
西嶋 愛

です

 

愛も豊かさも全てを満たせる女性へ♡

\魂レベルで変化するソウルカラー®︎メソッド/

 

🤍もう迷わない!生きる「目的」を明確化

「あなたにしかできない」をブランディング

🤍引き寄せたご縁の意味を知り願望実現を加速

 
ソウルカラー®︎コーチング

 

 

 

 

 

母親への嫌悪感

これが、長年いだいてきた私の母への気持ちでした。

母の愛は感じて育ってきましたので、「憎悪感」ではなく

「嫌悪感」だったのです。

 

それを、私がどのようにして克服してきたのかを伝えたい。

 

そして、あなた自身が、大なり小なり抱えている

ご両親(特に今日はお母様)への感情への開放のお手伝いができたらと思います。

 

 

 

 

 

母親が許せなかった

 

「万年反抗期」成人しても、母親からこんな風に言われていた私。

 

パニック障害や不安症を抱えた母

 

小さいころから寂しい思いを感じて育ち

 

母親自身が自分の母親(私の祖母)と確執のあった私の母。

 

自律神経失調症やパニック障害も持っていた母親。

 

私が小さいころ見ていた母親は

 

「不安定な人」「愛に飢えた人」でした。

 

愛に飢えているからこそ、「自分はこどもを寂しくさせない」という、こどもに対する想いも強かったとも感じていたのですが。

 

「私がママを守ってあげなきゃ」

 

そう思っていたことを、このブログを書きながら思い出しました。

 

 

離婚からの嫌悪感

 詳しくは書きませんが、いろいろあって、私の父と母は離婚しています。

 

離婚したのは私が大学生のころですが、

小学生のころから、父と母が離婚するのではないか・・という不安を抱えて

生活していた私。

 

あの頃、父と母に仲良くいてほしくて、小学生なりに色んな方法を試していたなと思います。

 

母は生い立ちや自身の抱える病気から

人に依存する傾向もあり、一方で自由奔放なところもあり、

男性関係で、娘としては悩んできたことがありました。

 

というか、私の母親への嫌悪感はほとんどが、ここからきていました。

 

離婚までの数年、父親が敢えて単身赴任を選択し、家に帰らなかったこと。

 

私は父親が好きでしたので、

 

「ママのせいでパパは出ていった。」

ずっとこんな風に思っていました。

 

父親が恋しいからと、付き合う人は、一回り以上年上なのは、ざらでした。

 

父親の愛は感じていましたし、父親とコンタクトもとれていたのですが・・・

あの頃の自分は、「父親」という存在を理由にし

自分を可哀そうな子にしていたように思います。

 

そして、何かにつけて、母親とぶつかっていました。

 

こてんぱんに言わないと気が済まないタイプで

凄い大喧嘩をしたことも多々ありました。

 

 

 

ソウルカラー®で知った母親との関係

 

母親とは、どうにも消せない「しこり」がありました。

 

もちろん、原因は母親の自由奔放さなのかなという自覚はありましたが、

もっと客観的にみてみたくて、ソウルカラー®の最初の診断で

母親の生年月日をいれてみたのです。

 

そうしたら・・・

 

母親と私の魂の色って、とっても似ていたんですよね。

 

いわゆる、「写し鏡」ってやつです。

 

 

母親のことが

 

弱い人だと思っていた

コントロールされて苦しかった

自由でやりたいことをやって私を苦しめた

 

全部、私自身が偏ったときに見せる魂のマイナス部分と

同じだったんです。

 

それを認めるのが嫌で、

私はこうなるまい!と必死にもがいていました。

 

でも、逆に言うと

 

母が自由だから許されてきたこともあった

見守ってもらえていた

弱い人だからこそ私の弱さも知っていた

 

 

 

あぁ、なんだろう、知るってこんな感じなんだ。

 

そこから、本当の意味で母と向き合うことが

できるようになったと思います。

 

 

性格が合う、合わないって、本当に側面しか見られていないことがあって。

 

実は、その奥に潜む、魂レベルのカルマだったり

ご縁、引き寄せがあるんですよね。

 

じゃあ、客観的にそれを知って、そこから、自分は母親とどのように

向き合っていくのか?

 

カウンセリングからの、自分自身への「コーチング」に入った瞬間でした。

 

母親の不完全さを認める

 

ソウルカラー®で客観的事実、魂レベルでの出逢いの意味をしってから

 

母親に対して「許容できる範囲」が増えたと思います。

 

「あーーー、こういうところね。」

「はいはい、こうきましたね。」

 

いちいち、つっかかて

私のマイナス面でコントロールしよう、正そうとしていたところが

良いように変わってきたと

 

自分でも感じていました。

 

だけど、

 

まだm、足りていなかったのです。

 

足りていないものがあったのです。

 

だから、母親との衝突は、ゼロにはできていませんでした。

 

 

じゃあ、私に足りていなかったものは、何だったのか??

 

よければ続きを読んでいただけると嬉しいです♡

 

 

 

 

 

 

\カウンセリングをもっと身近に/

あなたの伴走者

 

西嶋 愛

  

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