この馬を語るにおいていくつの
形容詞を並べたらいいのかわからない
おそらくキリがないだろう
それほど人を感動させ、励まされたかは
一人、一人、大きく違うであろうと思う
この馬自身も決して恵まれたものではない
むしろ全てにおいて不遇な状況に
置かれながらも、自身の力で切り拓き
克服していったのではなかろうか
そういった逆境の馬なのかもしれない
私にはそれが「奇跡」としか思えない
この馬は岐阜県の笠松競馬場でデビューした
800mで2回、2着となったが
それ以外は全て勝利している
地方成績は12戦10勝である
ここでこの馬の血統を紹介しよう
父はダンシングキャップ
母はホワイトナルビー
この血統から推測すると短距離のダート馬
であると思われ、短い距離なら少しは
中央競馬でも走れそうだが
全般的に期待しずらいものである
笠松競馬場という一地方都市の競馬場で
10勝挙げたぐらいなら、?のマークが妥当だろう
南関東競馬出身なら期待値はそれなりに
あるが血統的な将来性は薄いと考える
だがここで運命が大きく変わるのである
この笠松競馬での成績と1度だけ経験した
中京競馬場の芝での成績が多くの馬主の
白羽の矢が立つたのである
この馬の馬主には夢があった
それは東海ダービーを獲りたい事であった
このままなら夢は間違いなく叶うであろう
一地方競馬場で走り終える器ではないと
関係者たちはわかっていた
だがこの馬主は中央競馬の馬主登録を持っていない
そこで熱心に譲って欲しいと来ていた
馬主に譲ることとなった
(仔馬時代に250万円で買った馬を
2000万円で譲ったのである
実績からの価格ではどちらも格安である)
しかしこの時点ではまだ夢見る夢子だろう
伝説はここから始まったのである
中央競馬デビュー戦
2番人気だったが予想を上回る内容で勝利した
つづく2戦目は毎日杯である
クラッシックの登竜門として有名である
私はこのレースからこの馬を知ったのである
まだ半信半疑だったのを覚えている
血統論者にとっては魅力がないからである
しかしこの毎日杯も楽勝する
そして通常ならここから皐月賞、日本ダービー
へとローテーションを組むのだが
地方競馬出身のこの馬には
クラッシックレースの登録を
していなかったのである
この馬に対し元々期待をしていなかった証であろう
ふつう、新馬を持てば目指すのは
クラッシックレースである
クラッシックレースは走る走らないにかかわらず
毎月、出走する意思を示すために登録料を
3歳の時点から払わなければならない
新馬デビューした馬はほとんどの馬が
登録をしているのが常識であった
しかし登録をしていなかった馬が出れないのは
どう考えてもおかしいと思う
優駿を見出すためのレースなら
追加料金で出走出来るなりの対策をして
門戸開放をするべきであると思う
それがこの当時では出来なかった
陣営は皐月賞を断念し代わりに
京都4歳特別に出走して勝利した
つづく日本ダービーも出馬登録を
していないために断念する
代わりにNZトロフィに出走した
そしてなんとレコードタイムで優勝し
古馬のG1の安田記念より速かったのである
騎乗した河内洋によると一度も追うことなく
持ったまま楽勝だったと言っている
クラッシックレースに出れないばかりに
他のレースに出走して圧勝したが
皐月賞の勝ち馬は毎日杯4着の馬だった
もしがあるとするならば
皐月賞、日本ダービーに、この地方の馬が
出ていれば2冠を獲っていたに違いない
それほどのスピードと脚力、また怯まない
気持ちを備えていた怪物だったかもしれない