刺 客 | 競 馬 伝

競 馬 伝

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「刺客」

 

ウィキペディアによると

 

暗殺をする者、殺害を担当する者

 

暗殺者、ヒットマンともいう

 

物騒な名前だが、私の中でも「刺客」と聞けば

 

子連れ狼の拝一刀と息子大五郎が思い浮かぶ程度だ

 

しかしここで、そう呼ばれた馬がいる

 

なぜそのように呼ばれたのか

 

刺客をするぐらいであるから

 

それなりの技術者か

 

もしくは上回る力が必要であろうと思う

 

そしてその風体もその一つかもしれない

 

その馬は大きくはない

 

したがって大物感はないのだが

 

黒い馬体でバランスがよく健康が取り柄の馬だった

 

その馬の名は

 

「ライスシャワー」である

 

刺客とはほど遠い真逆の名前である

 

名前の由来はこの年

 

秋篠宮文仁親王と紀子妃の結婚の時期で

 

あった事から祝賀の意味も込めて付けたという

 

実に良い名前であると思う

 

ではなぜそう呼ばれたのか

 

この年、関西に素晴らしい馬が登場した

 

走るたびに連勝記録を伸ばしていく

 

「アイドルホースの誕生」であった

 

男馬の目標はクラッシックレースと

 

言われた3冠を目指していた

 

3冠とは

 

皐月賞、日本ダービー、菊花賞である

 

1つでも取れば凄い名誉なことである

 

その関西の期待馬の名は

 

「ミホノブルボン」である

 

皐月賞はなんなく、そのミホノブルボンが勝った

 

ライスシャワーは離れた8着であった

 

そして日本ダービー

 

誰もが夢みる日本最高峰のレースである

 

このレースを勝つことで生涯にわたり

 

ダービー馬の何々と言われるのである

 

例えばダービー馬の馬主や生産者、

 

ダービー馬を輩出した厩舎、厩務員

 

調教師とかダービージョッキーとか等々

 

生涯にわたりその「称号」が付けられる

 

もちろん1番欲しいのは

 

「ダービー馬」の称号である

 

その日本ダービー

 

ライスシャワーは18頭立ての16番人気

 

の低評価であった

 

レースはミホノブルボンがいつものように

 

スピードを活かして他を離して先頭だ

 

誰もついていけない強さと速さだった

 

そしてこの刺客と呼ばれた馬は2番手に

 

ひっそりと付けた

 

しかし絶好調だったにもかかわらず

 

ここでは歯が立たず2番手のままゴールインした

 

16番人気で大波乱の立役者であった

 

夏を越えて秋の菊花賞を迎えた

 

その前哨戦、京都新聞杯で4度目の対戦

 

結果はまたしても2着であった

 

そして菊花賞

 

誰もがミホノブルボンの3冠馬となる

 

姿を予想して、見に来ていた

 

「刺客はこれ以上ない仕上げをしてきた」

 

要は準備万端である

 

レースはいつものように

 

ミホノブルボンが先頭だ

 

4角を周って直線に入り

 

ミホノブルボンが突き放す

 

独走に入ろうとしていた

 

直線半ば過ぎに外から

 

じわじわと近づいてくる

 

黒い小さな馬が来ている

 

さらにじわじわと近づく

 

そしてゴール直前でライスシャワーは

 

ミホノブルボンの8連勝と

 

3冠馬となる夢を

 

砕いたのであった

 

舞台は京都競馬場である

 

アウエーのなか夢を砕いた馬はここで

 

「刺客」と呼ばれたのである

 

関西の競馬ファンにはこの小さな黒い馬が

 

憎たらしく映ったであろうと思う

 

場内は拍手もなく異様な空気であった

 

アイドルホースを負かしたら

 

優勝したのに敵役呼ばわりになった

 

「刺客」はつぎなる野望をもった

 

春の天皇賞に狙いをつけた

 

その天皇賞はあのメジロマックイーンが

 

3連覇を目指しているレースである

 

いろいろ記録がかかっているレースだ

 

そして天皇賞「刺客」は万全に仕上げてきた

 

レースは

 

メジロマックイーンが中心に動いている

 

ピタッとマックイーンの後ろに

 

小さな黒い馬が付けている

 

そして直線半ば辺りでマックイーンを交わして

 

先頭にたち押し切ったのである

 

マックイーンの3連覇と武豊の5連覇の

 

夢を砕いた

 

実況でも「関東の刺客が圧倒的人気の

 

メジロマックイーンを破りました~」と

 

実況されたのである

 

この「刺客」という形容が正しいかどうかは

 

見る側によって変わるものである

 

悪役にされたライスシャワー陣営は

 

最大限に努力してここまで来たのである

 

しかも勝ったそのG1、2レースは共に

 

レコード勝利である

 

しかしライスシャワーは

 

この後、スランプに陥る

 

スランプは長く続いた

 

2年後の天皇賞である

 

またしても舞台は京都競馬場

 

ライスシャワーは京都競馬場が似合う

 

レースは主力不在だったが4番人気

 

3角から先頭に立ちゴールまで

 

ギリギリ守り通した

 

3つ目のG1制覇となった

 

いま自身が頂点に立ったのである

 

そしてファンの夢をのせた宝塚記念

 

ライスシャワーはファン投票1位になった

 

もう「刺客」とは言わせない

 

堂々とした主役である

 

このレースを最後に種牡馬になる予定だった

 

その引退レースとなった宝塚記念

 

騎乗した的場均はレースの途中でいつもの

 

様子ではないと感じ、後ろに下げ

 

慎重にいくことにしたが

 

3角でその主役は

 

自らスピードを上げたその時である

 

前のめりになり転倒した

 

騎手は大丈夫だったが主役が

 

「粉砕骨折」

 

もう立てない状況だった

 

通常なら馬運車で移動をするが

 

馬運車に運ばれることなく

 

その場で「安楽死処分」となった

 

余程の状態だったのだろう

 

的場騎手は深く礼をしたまま見送るのだった

 

淀を愛したライスシャワーに

 

京都競馬場内に記念碑が建てられた

 

もう「刺客」とは誰も言わない

 

「淀を愛した孤高のステイヤー」

 

「伝説の馬」

 

と形容されるようになった