『無倦会10周年記念講演会』
お世話になっている木南一志さんが立ち上げられた『無倦会』
6月18日 10周年の大切な記念講演会に司会のご縁をいただき
大好きな皆様方と過ごさせていただきました
講師は、2023年7月号『致知』に登場なさった上寺康司先生
演題は
『剣道教士 7段が語る~ 人生に活かす 言志四録 』
佐藤一斎の 『言志四録』・言志録・言志後録 ・言志晩録
・言志耊録 から110分。
当日の早朝までかかって纏められた何ページにも及ぶ
佐藤一斎の教えを伝える資料をもとに
熱い熱い思いで語り続けてくださいました。
語られたどの言葉もお話も 学び深く素晴らしい。
いくつかをご紹介いたします。
1. 『 以春風接人。 以秋霜自粛。』
春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む。
〈 佐藤一斎『言志後録』33条〉
春風の様にやさしくあたたかく思いやりをもって人には接しなさい。 自分自身には、秋霜のように、厳しい寒さ、冷たさ身も置き、自らを律し鍛えなさい。
28歳で鬱になり、笑顔によって救われて、自分の命を生きる。笑顔で生きると決めて5年後、
34歳で家業が破産。。。色々あって、懸命に自分を保ち落ちないようにと日々 模索していた中、「話し方教室」に出会い、その教室の尊敬する先輩から当時 教えてもらった言葉でした。
はじめて私が出会えた 佐藤一斎の言葉です。
以来、 常に心において『 桃李もの言わざれども下自ずからケイ(パソコンで探せません・小道)を成す』高校時代 漢文の授業で出会って以来の 座右の銘と共に日々心がけている 私にとっても大切な言葉でした。
2.『面欲冷。背欲煖。胸欲虚。腹欲實。』
面(おもて)は冷ならんことを欲し、
背は煖ならんことを欲し、
胸は虚ならんことを欲し、
腹は實ならんことを欲す。
〈『言志録』19条〉
背・背中 後ろ姿に、人と成りがあらわれる。
後ろ姿、背中ぎ暖かな人に。
この言葉の解説をお聴きした時、すぐに思い出したある方の背中
思い出したというよりも、私の中に常に彼の方の背中、後ろ姿があります
2009年秋。初めて中健次郎先生に会うために、妙高高原で開催の 氣功合宿に参加しました。
中先生にも、氣功にも生まれて初めての出会い。
この時のことは、左脳を眠らせていただいたこと、
中先生の氣に一瞬で包まれ先生の人差し指の先っぽになって、約1mもピョンピョンと飛びながらかけまわった体験など こちらにもブログにも書かせていただいたことがございます。
まさに その時の出会いです。
誰でも相手と自分と、他と分たず、愛の氣ですべてを包めば、力を使わずに自分の身体の一部になる。 動かすことができる
この体験のワークをしました。
二人一組で向き合って床に座り、相手の肩や二の腕に右手を添えて(もちろん左手でも)、左にすっと手を動かすと、相手がそのままコロンコロンと転がる
こんなワークをしたのです
驚くことに、その場では、ほとんどの方が、私もその氣の使い方が出来ましたそして、転がされもしました
どちらも とってもあたたかな氣持ちになり、
氣で包む、他と分たないというのは この様に素晴らしい世界を創るのねと、大感激・大感動でした
その時の男性二人のペア。
私の方にお顔が見えていた方は、シャキッとなさって発言も多く、いかにも出来る風の方でした
もうお一方は、もの静かでひかえめ、常におだやかな微笑みの方。
どちらもスラリと長身でよく似た背格好。
ちょうど私の目線の先にお二人がお座りだったので、自分のワークもしながら様子を拝見する、感じることができました。
はじめに奥の男性が氣で包むお役になられたようでした。
が、愛の氣で包む、というよりも その時の彼は自分の思うように相手を動かすということに意識があったのではないかと存じております。
こちらから拝見していますと、まるで時代劇の剣の達人を囲む侍のように、
どこから、どこに、手をやったら倒せる?どうする? と、どこにも 隙のない人を相手にたじろいで焦っていることが様子からもお顔からもわかりました。
彼は 結局時間内に手を出すことさえできなかったのです。
私に見えている背中の方、その背中、後ろ姿は
背筋が伸びて腰骨は立っていてとても美しかったです。
けれど、固くない。
ふんわりと自然体でお座りになっていて、とてもやわらかな空氣を醸し出していらっしゃった
後ろ姿そのものが とても美しくて、
前に回ってお顔を見れば、きっと変わらず やさしく穏やかに微笑まれていたと存じます
本当に強い方は 肩にもどこにも力が入っていなくて、とてもやさしく謙虚である ということを、
お姿で、背中で教えてくださった方でした
お蔭様でございます
3. 上寺康司先生、剣道教士7段。
8段を目指して 毎日素振り1,000回を続けていらっしゃる というお話から、
『 人一能之、己百之、人十能之、己千之。』
人一たびにして之れを能くすれば、己れ之れを百たびし、
人十たびにして之れ能くすれば、己れ之れ千たびす。
果たして此の道を能くせば、愚と雖も必ず明らかに、柔と雖も必ず強なり。
〈 「中庸」第20章 〉
『人一十之。己百千之。』
「達人之域」(達人の境地)
人一たび十たびすれば、己れ之れを百たび千たびす。
果たして此の道を能くすれば、愚なりと雖も必ず明に、柔なりと雖も必ず強く、
以て漸く非常の域に進むべし。・・・・
〈佐藤一斎「言志録」第199条〉
「千」の由来『中庸』と、、、。
千たびす。 これは 誠に尊い。
しかし、「千」の由来が、『中庸』というところには、私はこだわりました。
私が喜びの中、学び続けている『ほつまつたゑ』の中に、百、八百万の他 数は細やかに書かれていて、「千」の数も、概念も出てきます。
例えば、
アマテル大御神ご誕生が書かれている第四章。
アマテル大御神の外祖父であるトヨケ大神(外宮にお祀りされている豊受大神)は、世嗣子誕生をいのり、八千座(やちくら) 八千回 禊をして祈ったと。
4.『多少人事皆是學』
多少の人事は皆是学なり。
〈 「言志晩録」第263条 〉
自らのあらゆる環境(世の中で接する人・物・事)
すべて 自分を鍛え・練り・磨き、成長させてくれる「学び」の対象。
「学び」は、 「感謝の心」が発動する対象。」と。
お蔭様で、私もたくさんたくさん神様から恩寵をいただき
いかに感謝が足らなかったか ということに氣付かせていただきました
笑顔で生きる 自分を生きると決めたことから、
『 知ることの深さが愛することへの道 』
であることも教えられ、すべてが感謝 と、心から思える私になれたことが何より嬉しい
佐藤一斎の家系は美濃国岩村藩。
今の岐阜県恵那市 近くに、
アマテル大御神の胞衣(えな)が納められた恵那山。
その胞衣を守る大切なお役を賜ったアチヒコ オモヒカネさん の阿智神社など
ほつまつたゑ 縁の深い場所
ちなみに、近江聖人と呼ばれる 中江藤樹の生誕地
滋賀県高島市 も、ほつまつたゑ全40アヤが
隠され守られてきた場所
その地に宿る尊い波動・エネルギー、DNAがきっとあると、勝手に喜んでいる私
上寺康司先生のご講演をお聴きしながら、いろいろ思いを巡らせました
ありがとうございました