言葉の乱れが、心の乱れに繋がります。
久しぶりに、与謝野晶子さん作『金魚のおつかい』を
図書館で借りてきました。
公民館や小学校で、絵本の読み聞かせをしていた頃に、
何度も手に取ったお話です。
(その時は絵本でしたが、もうなくなっていました。残念。)
金魚が電車に乗って、千駄ヶ谷の光さんのお家から、
駿河台の有さんのお家におつかいに行く、という発想も面白いのですが、
私がこのお話を選んでいたのは、言葉の美しさに魅かれたからです。
少しでも、子どもたちに、
美しい日本語・言葉を聞いてほしかったからです。
知ってほしかったからです。
お兄ちゃんの光さんは、弟の茂さん、
(恐らく二人とも小学生。
4年生と、2年生くらいかしらと私は思っております。)に、
話しかける時も、名前を呼び捨てにしません。
もちろん、「お前 」や 「おい」なんて言いません。
「茂さん 」と、名前を呼びます。
お友達の太郎さんにも、「太郎さん」と、さんを付けて。
でも、金魚には、「おつかいにやりましょう 」と、使います。
こしらえは、おこしらえ。
車掌さんが何か言いたそうな金魚に、「早く、お言いなさい。」
トンネルに入った時、
夜になったと思って寝てしまった 白ちゃんと斑ちゃんを起こすのに、年上の赤ちゃんは
「白ちゃん、まだらちゃん、おおきなさい、みっともないから。」
( 今。電車の中で ほとんどの人が寝ています。私も。
寝ていなければ、 スマホで ゲーム・・・。)
有さんのお家に行って
赤ちゃんは、
「千駄ヶ谷の 光さんのうちへ 明日(みょうにち) おあそびにお来しください、、、」
などなど。
与謝野晶子さんの活躍なさっていた時代は、
子どもたちの目にする言葉、耳にする言葉も、
こんなに丁寧で、美しいものであったのだと存じます。
その様な美しい言葉を声にする時は、声も、優しく穏やかな声になります。
わめきちらすような乱暴な言葉、ぶっきらぼうな言葉
ばかりを聞いて、見て、育つのと、
子供たちの心のゆたかさ 育まれるものは大きく変わります。
情緒・情操教育の面から考えても大きく違うと存じます。
英語教育も大切ですが、
少しでも、子どもたちの周りにある言葉が、声が、
美しいものになります様に、
大人が 意識を高くして整えていきたいと存じます