『 知ることの深さは 愛することへの道』

2月10日 加古川平成ロータリークラブ様にお招きいただき

2023〜2024年度

国際ロータリー第2680地区

 東播第2グループ I.M. インターシティ・ミーティング

で、講演させていただきました✨✨✨

テーマ 『日本の素晴らしさを知り未来に生かそう』

 

・天皇陛下を中心とする美しい日本を未来の子どもたちにつなぐ

・おひとりおひとりの命を輝かせる

この2つを理念に、活動を続けさせていただいています。

 私の生まれた国 日本が大好きな私✨✨✨

アインシュタイン (神に感謝する)

「 近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。

一系の天皇を戴いていることが、今日の日本をあらしめたのである。

私は、このような尊い国が世界の一箇所くらい無くてはならないと考えている。

世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いが繰り返されて、

やがて戦いに疲れるときがくる。

そのとき、人類は誠の平和を求めて世界的に盟主を挙げなければならない。

その世界の盟主なるものは、武力や金ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古くて、また、尊い家柄でなくてはならない。

世界の文明はアジアに始まってアジアに帰る。

それには、アジアの最高峰、日本に立ち戻らねばならない。

私は神に感謝する。

我々に日本という国を造っておいてくれたことを。」

 

ポール・クローディル (日本に寄せる遺言)

「 私が決して滅ぼされることの無いようにと願う 一つの民族がある

それは 日本人だ

日本は神の国であったとき

きわめて光栄ある日々を得た

自分は信じている

犠牲によって流された血潮は決して空しいものに終わることなく

日本国民に神の光をもたらすに違いないことを

これはいまや墓場に近い80歳の老翁が 諸君に告げる予告なのだ

勇氣をもて

勇氣をもて

日本はまさに昇らんとしている

ニッポン万歳」

 

大東亜戦争敗戦の昭和20年9月27日

アメリカ大使公邸に、マッカーサーをご訪問なさった 昭和天皇様は、

シルクハットにモーニングの正装。

迎えたマッカーサーは、作業服。しかも、玄関にお迎えにさえ出なかった。

それまでの歴史の中、皆がそうであったように

敗戦国や負けた側の王やトップは、皆、命乞いをするか 亡命するか、、、、

自分の命、身を守るために国民を捨てる。

(命乞いに来た )と思っていたマッカーサーは、

その惨めな男を辱めるために 横柄な態度で 記念写真も撮らせた。

しかし、昭和天皇がお言葉を述べられた時

マッカーサーの心は変わった。

 

『 私は日本の戦争遂行に伴いいかなることも また事件にも

全責任をとります。

また私は日本の名においてなされた総ての軍事指揮官、軍人及び政治家の行為に対しても 直接責任を負います。

自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。

構わず総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います。』

 

これが陛下の御言葉でした。

もし国の罪をあがのう事ができるのであれば 進んで絞首刑台にあがることを申し出られた御言葉と、静かで美しい御姿。

そして続けて、皇室の財産の目録をお渡しになり

 

『 この上は どうか国民が生活に困らぬように、連合国の援助をお願いしたい 』と。

 

昭和20年。非常に寒い夏。お米や農作物が取れず、働き手がいない、

そこに 引き揚げ者がどんどん帰ってきた。

戦争で生き残った国民の1.2割が餓死する、、という状況の中だった。

マッカーサー元帥は、

「このお言葉を聴いた時は本当に感激した。・・・(中略)その大御心は真に天日の如く照らして居るというべきである。(略)・・・。」

と、昭和30年9月2日 重光葵全権大使

( 昭和20年9月2日 戦艦ミズーリ号の艦上で行われた調印式に日本の全権大使として臨まれた。)に語り伝えました。

 

日本は わが身を捨てて国民を守ってくださった昭和天皇によって救われたのです。

また、 皇居勤労ご奉仕に4回 伺わせていただきました時に、

ご会釈のお時間に直接拝顔することができた 今上陛下(当時は皇太子殿下)の

ご聡明で爽やかで慈愛に満ちた御姿。慈しみに満ちた眼差し。

ご会釈の後、団の女性リーダーから教えていただきました

 

「 皇太子殿下は、ご会釈の時、代表の前にいらっしゃる間はまばたきをなさらないのよ。」

と聴いた時の感激・感動。

 

そして令和元年5月4日

新天皇となられたお祝いの 祝賀に参列させていただきました時、 見せていただくことができた大きな大きな奇跡✨✨✨

長い時間、早朝から整列して並び、周りの方々とも和やかに過ごしていたのに、

入場の時間になり、手荷物検査を受けて 再び整列と告げられた瞬間、

われ先に駆け出した多くの人々。

人を押し除け、検査を済ませ再び整列した時には、周りの顔ぶれが変わっていて、

祝賀の10時にあわせ、そのまま長和殿の前、東庭に整列した時には、

お出ましになる時間まで、

( あの人は私の後ろだったのに、、)(あの人が突き飛ばした)(あの人のせいで、見えない)(カメラが邪魔)などなど、

声に出して言う人々、言葉に出さなくても思っている人々の その悪しき思い、責め心で、トゲトゲしく重苦しい波動に変わっていました。

 

この様な空気の中で 新天皇陛下 雅子様をお祝いするの? できるの?

と、私はとても哀しく辛く思っておりました。

お時間がきて、長和殿に、ご皇室の皆様方、そして 

新天皇陛下・雅子様がお出ましになり

徳仁の大君から 御言葉がありました時には

皆、仰ぐことだけ、そして、許されていたお写真を撮ることに集中して

 身を置きました。

御言葉が終わって ひと呼吸。

どこからか 「 天皇陛下、ばんざ〜い🇯🇵」と声があがり、

その瞬間、皆、その声にあわせて、何度も何度も 湧きあがる感動と感謝の中で

「天皇陛下 万歳、万歳」と、東庭に集う人々ひとつになって

お祝いを申し上げました✨✨✨

新天皇徳仁の大君・雅子様 ご皇室の方々が全員退席なさって

退場を勧めるアナウンスがあったあと

皆、始まる前の あの嫌なトゲトゲした空気はまったく消えていて

初めて出会っている自分の周りの方々と握手しあったり、

中には ハグしあったり。

みな、優しい眼差しで微笑み合いながら

「 ありがたいことでございますねー。」

「 これから美しい御代が始まりますね〜。」

「 おめでとうございます。」と、口々に✨✨✨

新天皇陛下のお姿と御言葉を 存在を いただいただけで、

その場は 愛の光にあふれた 大調和の世界がそこにありました✨✨✨

勤労ご奉仕に4回。あと1回は、

皇居の雅楽堂での 招待客しか入ることができない雅楽演奏会に 

娘と二人で伺わせていただきました時✨✨✨

皇居の中へ進む、橋の中ほどまで歩いていくと、足元からの氣が 

清らかでやわらかな氣に変わる✨✨✨

天皇陛下、皇太子殿下のご会釈をいただき、

直接 拝顔するたび、感じた これまで出会ってきた方々の中で 

最高に 美しく慈愛に満ち謙虚な御姿。愛の深さ✨✨✨

「 祈られているだけではいけない。

私たち一人ひとりが、この国のために、天皇陛下のために お役に立てる国民になること。

敗戦後、GHQや列国によって、自虐思想に陥いるように仕組まれた日本。

歴史を歪められ、隠され、誇りも 美しい精神も 失って

政治家も 企業も 我欲、金欲にまみれた

情けない姿 醜い姿をあらわしても、責任をとらない厚顔無恥。

こんな姿ばかり 見せられて 子どもたちは 国を誇りに思えるでしょうか。

この国に生まれた自分の命に誇りを持てるでしょうか。

アメノミナカヌシさま   クニトコタチさまの御代より、

日本は 清貧であっても 高潔な国であり、民族であったのです。

その様な お互いが相手のことを思いやり  助けあう

みんなの幸せを、自分の幸せと思える国であったのです。

大正8年 パリ講和会議国際連盟委員会において、

『人種差別撤廃提案』をした我が国 日本。

白人至上主義がまかり通り、アフリカ、アジアを植民地とし搾取することを当たり前にしていた社会に

「すべての人間は平等である」と毅然として立ち向かいました。

その精神は、志は、

樋口季一郎中将によって、2万人の、

杉原千畝領事代理によって 6,000人の

ユダヤ人にビザを発行し命を助ける尊い志に繋がり、その前に

ポーランドの子どもたちを救う活動にも繋がりました。

八田與一様、六士先生のお姿にも繋がりました。

美しい精神を 国の風土、自然を   守り伝えて育んで 

100年先 200年、、1000年先の孫子たちが少しでも幸せであるように、

と生き抜いてくださった  ご先祖さまたちの

偉人、先人の生き方を学ぶこと  正しい歴史を学ぶこと

本当に急務です✨✨✨

ハチドリの一滴 ですが  つとめてまいります✨✨✨

 

アーノルド・トインビーの言葉

「 国家が滅びるのは

経済の破綻でもなければ

敗戦でもない

道徳を失ったとき国家は滅びる 」

心に刻んで。