あることで こちらの原稿を読み直し少し補足もいたしましたので、
建国記念の日には まだひと月ございますが シェアさせていただきます。
初稿は 平成27年です。
建国記念の日に私が想う事、それは、今上陛下・皇后陛下・ご皇室の弥栄を祈り
美しい日本の国と世界の平和を祈り守ることでございます。
私は、平成24年(2012年)から平成27年(2015年)、ご縁をいただき
皇居勤労ご奉仕に4回伺わせていただきました。
そして、そのご縁で、平成26年(2014年)4月には、
招待客しか伺うことのできない皇居雅楽堂での春の演奏会に、
娘とふたり、身を置かせて頂くこともできました。
勿体ないことに その日は、天皇皇后両陛下ご臨席の日で、
たまたま私の席からは、階段をさらさらと登っていらっしゃるお二人のお姿が、
踊り場では、美智子さまは陛下の斜め左後ろを歩いていらっしゃったのですが、
こちらへの階段を一歩昇られる直前に、陛下がさっと美智子様の腰に手をまわし、
エスコートなさって、さらさらと一緒に登っていらっしゃる
仲睦まじく美しいお姿を真正面に拝見することができました。
この「さらさらのぼる」という表現は、
森信三先生の 『修身教授録』の中に書かれてあり、
同年1月拝読した瞬間、美しさにとても感動致しました。
が、とにかく美しいと感動はしたものの、さらさらと階段をあがるその姿が
具体的にその時まで、私の中にはございませんでした。
両陛下のお姿を拝見させていただきました時、
雅楽堂の中を階段までお進みになっているお姿も、
階段をこちらにのぼっていらっしゃるご様子も、まさに
『さらさら』と流れるがごとくで、大感動・大感激致しました。
そして 階段を上がっていらっしゃった時、
お辞儀をしているとはいえ私の目の前にお立ちになった両陛下にご会釈頂き、
美智子さまからは、「ご一緒に。」とお言葉を掛けて頂けるという、
本当に有難い体験もさせて頂きました。
皇居勤労ご奉仕に伺いますと、ご公務などで外出されないかぎり
天皇皇后両陛下 そして皇太子殿下に(本来は皇太子殿下皇太子妃殿下に)
直接お会いでき、お言葉を頂戴できる『ご会釈』という日がございます。
有難いことに私は、4回とも、4日間の皇居勤労ご奉仕で、
天皇皇后両陛下、そして、赤坂御用地で 皇太子殿下に、
『ご会釈』を頂くことが叶いました。
しかも、いつも代表者のお側に立たせて頂きましたので、
1メートル半程の距離で両陛下、皇太子殿下を拝顔させて頂くことができました。
今上陛下皇后陛下に『ご会釈』を頂く館は、前面の壁も扉もガラスでしたので、
時間通りに静かに着いたお車から優雅に降りていらっしゃるお姿から、
ご会釈の時間が終わりお立ちになった車の窓をあけて、
見えなくなるまで手を振り続けてくださるお姿まで、
ずっと拝見することが出来ました。
ご会釈のお時間、両陛下とも、本当に柔らかく、あたたかな微笑みで、
静かに、静かに、いらっしゃって、
各団体 代表の前に足を運ばれ お言葉をかけてくださいました。
そのお姿は、お優しく、慈しみと 謙虚さにあふれ、皆、
感動で涙をこぼしました。
特に 美智子様は 美しく 清らかに 本当に控えめにいらっしゃって、
同じ女性として、このようにありたいと 心より祈るお姿でございました。
ご会釈の間、私は度々 両陛下と目が合い、
私に微笑んでくださったと感激していたのですが
不思議なことに 後で皆さんの声をお聞きしますと、
列の後ろや会場の角にいらっしゃって直接お顔が見えなかったのでは?
と思う方々までも皆、
「私の目を見て微笑んでくださった・・・」とお喜びになっていたのです。
なぜ? と考え・・ そして 思い至りました。
両陛下は、会場にいらっしゃる前から、
その場に集う私どもひとり一人の名前に目を通し覚えてお越しくださると伺いました。
私どもひとり一人の幸せを想い、高い御心で
先に一人一人を大切に祈ってくださっていたから
その御心が全ての方に届いて 全ての方が、
( 私を見て微笑んでくださった・・)と、
場所的に、直接お顔が見えなかったと思う方まで、
御心をいただいて感激なさっていたのではないかしらと 。
その場に身を置けたことが本当に有り難く、また、日本の国に生まれてきたことに、
さらに、深い喜びと感謝を頂きました。
また更に、春の皇居雅楽堂の演奏会のご招待券を頂戴する縁に恵まれた時には、
ロイヤル席にお立ちになって手を振ってくださった天皇皇后両陛下のお姿に、
大きな感動と感謝・更なる気付きを頂きました。
雅楽堂に入ってすぐに、陛下ご臨席と宮内庁の方からお知らせを頂きました時、
重ねて、両陛下をお迎えをした時は絶対に声を出さないように、
自分から話しかけたりなどしないようにと、いろいろ先に注意を受けました。
にもかかわらず、
2階席の私どもは勿論、1階席の方々も皆、立ち上がり
両陛下に拍手をしていたとき、階下から、(うふふふふ)という、
なんとも言えない幸せそうな笑い声が、しかも 決して小さくない笑い声が、
あちらからもこちらからも聞えてきて驚きました。
が、きっと皆様、ご自分が声を出して笑っていることにさえ
お気付きでなかったのだと しばらくしてから存じました。
それ程、感動されて幸せに輝くお顔の目からは、
目の幅で皆ポロポロ涙がこぼれているのです。
その姿を見せて頂けたとき、さらに気付かせて頂きました。
それまでは、例えば、東日本大震災の被災地にいらっしゃった時、
冷たい体育館にスリッパもはかず、膝をつき、手を着き、
被災者の方にお声をかけていらっしゃる両陛下のお写真など拝見した時、
声をかけられている被災者の方が皆
穏やかに微笑みながらお応えなさっているお顔や姿を見て
家族も家も全てを失くされた辛い辛い状況の中でも、
陛下や美智子さまにお声をかけていただけたら礼儀として
微笑もうとなさっていると思っていました。
でも、雅楽堂で 皆様の様子を拝見できた時、
(いや そうじゃなかった。違う・・・。)と感じました。
どんなに辛い状況であろうとも、この方がたは
陛下にお言葉を頂いている この瞬間だけは、
きっとすべてを忘れられているのに違いない。
天皇皇后両陛下は、それ程の存在なのだと、確信したのです。
そして、それは、決して、天皇 という名前や位からなどというものでなく
ただひたすらに、国民の、世界中の人々の 幸せを
祈り続けてくださっている存在であるから、
病気も、災害も、苦難も、すべて私の体を通してくださいと
祈ってくださっている存在であるから、
何か起こった時、 すべて自分の至らなさからこの様な事象が・・と、
すべてをご自分の責任として、祈り詫びてくださっている存在であるから、
私たちは、お会いできるだけで、 こころに思うだけで有り難く、
幸せを感じることができるのだと存じました。
平成27年(2015年)12月 伊勢修養団いなほの会から、
4回目の勤労ご奉仕に伺いました時、夕食に、
銀座にあるナイルレストランにお連れ頂きました。
こちらの ナイルレストランは、
今上陛下が 皇居から出前をとられるお店 2つのうちのひとつの
インドカレーのレストランです(ちなみに、もう1軒は、鰻の名店 野田岩です)
そして、 初代創業者のA.M.ナイルさんは、昭和天皇から、勲1等を授けられ、
晩年は母国のインドに帰り過ごされた方です。
いなほの会の会員、(株)伊勢国際観光代表取締役 中西様のご縁で
2代目ナイルさんから、特別に、食事の前にお話をお聴きすることができました。
当時イギリスの植民地だったインドで、高校時代から独立運動に参加されていた
A.M.ナイルさん。
当局から目を付けられ身の危険がせまった時、日本に留学してこられました。
初代A.M.ナイルさんのお父様が、日本に学びなさいと仰ったからだそうです。
「有色人種で白人に勝った国はひとつ。日本だ。
世界一といわれた、ロシアのバルチック艦隊に小さな小さな国の日本が勝った。
それは、力で ではない。
東郷平八郎という素晴らしい艦長と 日本の国の徳の高さで勝ったのだ。
兄と同じように、お前も日本に行き、日本に学びなさい。」と。
そして、1928年、京都帝国大学に入学され、
大学に配属されていた将校を通じて 日本陸軍と縁ができ、日本に亡命していた
ラシュ・ビハリ・ボーズと出会い、頭山満、大川周明ら大アジア主義者との出会いに発展。
満州建国大学の客員教授にも就任して愛新覚羅溥儀・溥傑など、
多くの人々とも親交を持った敗戦後、捕虜になられましたが、
インド人であることからすぐに釈放され日本に。
A.M.ナイルさんがその時に日本にお帰りになっていたお蔭で、
東京裁判で唯一人、(日本は悪くない)と世界に向けてメッセージを出し続けてくださったパール判事に、
日本が戦争をせざるをえなくなった事情、日本の国柄、皇室の尊さ、存在の重要性など、
パール判事の通訳として活躍する前から、
毎日、宿泊先の帝国ホテルに通って伝え続けてくださったのだそうです。
あの東京裁判のパール判事の尊いメッセージは、
初代A.M.ナイルさんの存在が大きかったのです。
「日本は悪くない、精神性の高さ、調和の力、日本は素晴らしいんだ。
日本人、自信を持ちなさい いつまでも自虐思想に陥っていてはいけない
目覚めなさい いつまで 自虐思想に陥っている
・・」
と、熱く、熱く、2代目ナイルさんはその時私たちに想いを伝えてくださいました。
陛下がカレーを召し上がりたい時は、
ナイルさんの所に侍従さんからお電話が入るそうです。
カレーの準備をしてナイルさん自身が自家用車で皇居へ。
御所の台所で、準備してきたカレーを温め直したり、
盛り付けたりして陛下ご一家の食卓へお出しになるとお話くださいました。
「だから、侍従さんも入れない程、奥へ、私は入れて頂いているのですよ。
ご家族で寛いでいらっしゃるお姿もお側で拝見できているのですよ。
だから、お伝えしたいのです。
普段の天皇陛下 皇后陛下、皇太子殿下・・皇室の方々の、
より素晴らしい、尊いお姿を。 有難さを・・。 」と、
こちらも 熱く熱く語ってくださいました。
皇太子殿下に初めて赤坂御用所でお会いできました時は、4月3日、
皇居での大切なご神事に出席された後でした。
昼の正礼装モーニングコートをお召しになった皇太子殿下が、
颯爽とお部屋に入ってきてくださった時
その爽やかさと、聡明さと穏やかなやさしい微笑みに、尊さに、
一瞬で、感動致しました。
感動と感激でご会釈の時間を過ごし、会場から出た時、
可愛がってくださっていた団の女性リーダーから声をかけられました。
「えりさん、お気づきになりましたか?」と。
「・・・何ですか?」と、問い直すと、その女性は、
「皇太子殿下は、ご会釈の時、代表の前にお立ちになった間は、
瞬きをなさらないのですよ。」
と、教えてくださいました。
彼女はお父様が近衛兵として、長年 昭和天皇のお側にお仕えになっていた方で、
そのお父様からお聴きになっていたそうです。
皇太子殿下は、ご会釈の間に、ご自分が目をつぶったその瞬間に、
もし誰かが倒れるようなことがあってはいけない、
伝えようとしていることを見逃してはならないなどと、
天皇陛下の祈りに足りないご自身がせめて出来ることをと、
その様な深い御心で、瞬きをしないようにされたのだそうです。
挨拶の間、天皇陛下より短いとはいえ、3分以上はございます。
(天皇になる)という、その覚悟・御心は、それ程の大きな深いものなのです。
高いものなのです。
大きな覚悟を持って、その責任を持って、祈りと愛をもって、
ご自分の命のすべて、一瞬一瞬を生きていらっしゃった殿下のお姿に、
さらに感謝し、有り難さに思わず手を合わせ直しました。
私どもは、この様に有り難い存在を頂いていることを知らなければならない、
ちゃんと知らなければならない、もっと感謝しなくてはならない、そして
伝えなければならないと、存じました。
両陛下のお姿は、元の日本の姿そのもの。
1万年以上、争うことのない縄文の時代を作ってきた日本人の姿。
私たちには、そのDNA 遺伝子が受け継がれています。
天皇陛下皇后陛下、ご皇室に、守られて、祈られているだけではいけないのです。
これほど素晴らしい存在をいただいている私たち一人一人が
少しでも、自分の姿、内を磨き、清めて、両陛下の美しいお姿に近づけるように
努めていかなければ申し訳ないと存じます。
少しでも、その御心にお返しできるように、ひとり一人が自分の存在で、
自分の周りを清め和やかな美しい場にしていけば、
日本の国が世界の聖地になって、世界を癒していけると信じています。
それができるのは、ご皇室を頂いている私たち日本の国。
まず自分から、美しい日本語、情緒ゆたかな心、おもいやりの心を磨き、
美しい自然とともに大切に守り伝えて参りましょう。
建国記念の日に、今上陛下・皇后陛下・ご皇室の弥栄を祈り、
美しい日本の国と世界の平和をお祈りさせて頂きました。