私の尊敬する、大好きだった
渡邉五郎三郎先生の追悼が、『致知』令和3年8月号に掲載されていました。
5月21日に、満102歳で永眠されたと。
記事のお隣には、ご縁を頂き通わせていただいていた大阪のお勉強会で
よくお会いさせて頂いていた
五苑マルシン社長の川辺清様が、6月4日にお亡くなりになったことを知らせる記事が。
82歳であったそう。
そして、
この号には、ご縁を頂いていた寺田一清先生、
3月31日に95歳で亡くなられた寺田一清先生を偲ぶ対談記事も載せられていて
私にとって、特別な想いの号になりました。
渡邉五郎三郎先生。
安岡正篤先生の高弟で 元福島新樹会代表幹事でもあった
渡邉五郎三郎先生は、播磨人間フォーラムの講師として姫路にお越しくださいました。
その会の司会者として、会場であったホテルのお部屋に打ち合わせに伺ったとき、
ハンガーにかけたばかりの上着をボタンも留めて着直して、
当時88歳でいらした先生は私どもを丁寧にエレガントにお迎えくださいました。
部屋にあった小さなテーブルと椅子2脚。担当者と、私を座らせてくださいました。
上座のお席に渡邉先生にお座り頂くようにお伝えした私に、
「今、この部屋の主人(あるじ)は私(わたくし)でございます。
主人である私がお客様を立たせて座るわけには参りません。
どうぞ遠慮なさらないで、あなたがおかけください。」
穏やかに微笑みながらその様にお勧めくださった時のあたたかなお声と言葉。
柔らかで静かな物腰。
打ち合わせは、
「 どうぞ、あなたがやりやすい様に自由になさってください。」
その言葉と確認だけで終わりました。
講演の演題は、『南州翁の遺訓に学ぶ』
その講演の内容、先生が語られている南州翁のお姿と寸分違わないお姿で、
先生は 講演の90分、お立ちくださっていました。
『敬天愛人』
『天知る 地知る 我知る』
演題の前に初めにきちんと背筋を整えてお立ちになった時のまま、
足ひとつ乱すことなく。
懇親会が始まり、改めてご挨拶に伺った私に、すぐに立ち上がり
「私の方こそ大変お世話になりました。ありがとうございました。」と、
お伝えくださいました渡邉先生。
お礼のおはがきを出すと、すぐに、丁寧なおはがきを返してくださって
その時に書いてくださっていた
『 縁尋機妙 多逢聖因 』 の言葉は、私の宝になりました。
2度目に お出会いできましたのは
致知の30周年記念式典に東京のホテルオークラに行かせて頂きました時。
ご来賓のおひとりとして会場にいらしていた先生にばったりお会いすることができました。
この時にも、休憩時間にトイレに並ぶ長い列の中程にいらした先生に、
少し離れたところからうっかり声をかけてしまったら、
さっと列を離れて私の前に歩みよってくださって、
姿勢を正し、お顔をやさしくほころばせながら
「 姫路で司会をしてくださった山本えりさんでしたね。
その節は、大変お世話になりました。」と、私より先に挨拶をしてくださいました。
それから後も、色々と、ご縁を頂き、 お出逢いさせて頂き、
大阪でなさっていた渡邉先生のお勉強会最後の日の
懇親会にも特別に渡邉先生のお招きでご一緒させて頂き、
有り難い時間を過ごさせて頂き、その会の主宰者さんとの新たな縁も結んでくださって、
もう、お会いできないかと思っていたら、
東京で、その半年ほど後、頼経さんのお蔭で、
また、先生のお勉強会に参加させて頂きました。
この時は、渡邉先生の方が、まさか姫路にいる私がそこにいるとはお思いにならなくて、
驚きながら喜んでくださったことありがたく存じております。
そして、先生からお贈りいただきました沢山のご本。
一冊一冊 宝物です。
本当に、いつどこでお会いしても、まったく変わらないどころか、さらに
感動が大きくなるばかりの存在でした。
美しい美しい先生でした。
渡邉五郎三郎先生にお出逢いできましたことの奇跡。
感謝でいっぱいです。
102歳で、天寿を全うなさった その日まで、変わらずお元氣でいらしたとのこと。
本当にありがとうございました。 心からの感謝を申し上げます。
渡邉五郎三郎先生 ありがとうございました。
(令和3年8月号 『致知』の記事の 写真掲載)