2011年秋、研修に伺わせて頂いていたお菓子問屋のよしや 吉寿屋の会長(当時)から、

北海道のじゃがいもダンボール2箱と、かぼちゃ一箱をお贈り頂きました。

そのあと、何気なく始めたばかりのFacebookを開いたら

画面に現れたのが 『SOS』の大きな文字。

そのSOS に続けて書かれていたメッセージが、『あい☆えがおBOX』の立ち上げと

それから3年間、泊浜山王に毎月 支援物資を届ける活動のきっかけになりました。

その SOSのメッセージ。

牡鹿半島の小さな漁村 泊浜山王にたどりつかれた女性のメッセージ。

東日本大震災の痛々しい傷だらけの瓦礫の中を歩いて、被災地の

困っている人を探し訪ねてくださっていた大阪の女性の記事でした。

震災から半年。

(ここには支援物資が何も届いていません。みんなが餓死します。

すぐに食べ物を送ってください。)

そのメッセージを見た瞬間、

神吉武司会長(当時)から届けられたじゃがいもとかぼちゃは、

私を通して 泊浜山王に送りなさいという神様のメッセージだとわかりました。

すぐに、近くにあったヤマト運輸さんに持って行きました。

お願いすると受付の方は

「まだ、道路が壊れたままなのでお預かりしても いつお届けできるかわかりませんが。」と。

「いつになってもいいから、お願いします」と、お預けして帰りました。

 

それから、一週間もしないうちに泊浜山王の区長さんから お礼のお電話をいただきました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。を、10回以上。

そして、3年後10月末、お仲間と共に、区長さんをお訪ねして、

まだ瓦礫だらけの 何もない石巻や女川、、、と沿岸部の被災地を巡って

この目で、耳で、確かめてきました。

その訪問が、今も石巻 宮城に、

被災地に心を寄せる活動の元のひとつになっています。

『あい☆えがおBOX』は、その後も 福岡や 熊本、岡山と

被災地に お送りさせていただいています。

そして、その訪問の中で、私が送ったじゃがいもとかぼちゃは、

ヤマト運輸の方が、道なき瓦礫の中を、背中に一箱ずつ背負い歩いて

泊浜山王の区長さんのところまでお運びくださっていたことを知りました。

石巻市泊浜山王。

車で入ることができた2013年秋でも 牡鹿半島に入る橋からもずいぶん遠かったし、

瓦礫だらけの道はガタガタで大変。

何度も迷いそうになりました。

そんなところに、トラックから荷物を背負って延々と歩き続けてお届けくださったドライバーさん。

いったいどこから、あの場所まで歩いて運んでくださったのかと

想像するだけで涙が出ました。

お話くださった区長さんご夫妻も、涙を浮かべ手を合わせながらお話くださいました。

そんな時にも、使命感を持ち命をかけてお客様に荷物をお届けくださってきた運送会社の方々。

そして、今も。

コロナ禍の中。各家々に、会社に、現場に、変わらずに

荷物をお届けくださっている。

そんな物流に携わってくださっている

多くの方々の存在のお蔭で、仕事も回る。

家族の想いも届く。人の生活ができている。

國を支えてくださっている大切な存在。

林業も農業も水産業も

同じように、粗末に扱われて 苦しめられてきた 国の政策。

私利私欲にはしる 人々。  

でも、それらを支えてくださっている方々の存在がなくなったら

誰も 生きていけない。

日本の國がこわれる。

日本の國のこと、未来の子供たちのこと

日本の未来のこと。

地球の10年後のこと  100年後のこと。  300年後のこと。

國がなくなるということの恐ろしさ。

本氣で考えて 行動していかなければ。  私の責任でもある。

 

木南一志さんがシェアしてくださった 『日本の物流は大丈夫か⁈』という記事で

日本の物流界に起きていることを知りました。

皆さんも、どうぞご覧になってください。

そして、考えてださい。 動いてください。