10月8日のお陰様 その4.
ほつままなびや姫路校アイスタイルさんのモデルハウスで、18時から和やかにスタート
雨の中、お越しくださいました皆様 ニコニコ笑顔で、和やかに お元氣に
本日は、ホツマツタヱ21アヤ
御機(みはた)の二十一(ふそひ)
新治宮(にはりのみや)法定む文(のりさだむあや)
の、続きでした。
カグツチ(火の神)が竜を生んとして、土の神ハニヤスメに万子(よろこ)を生ませたのだけれど、
生まれ損ねて竜ではなくヲコロというものになった兄弟が、
穴の中で自分たちの身を憂い、鬱屈して、
新治の宮の整地をしている民に向かって炎を吐くなどしていたのだけれど、
大物主クシヒコさんからその想いを聴いた
皇孫キヨヒト君(後の ニニキネ)さんから、イクシマ・タルシマという神名を賜り、家を建てる時、
その土地を浄め守る大切なお役で、八将神(やまさかみ)に仕える神として勤めることを申し渡されるという場面。
そして、新屋の柱建ての礎に敷きます処をよく
厳しく(いかしく)活かす(いかす)ように守れと、勅りされ、ヲゴロ神イクシマ・タルシマは、
世世 イカスリ 新屋を守ったことが書かれています。
ヲゴロ神は、土公神(どくじん)として今の世にも残されています。
マミちゃんは、 ここまで聴くと、 興奮気味に、大阪のサムハラ神社の近くに、イカスリ神社がある
イカスリって、何?御祭神は?と、ずっと思ってました〜 と。
そして、私自身も、
娘が大学4年の時 息子と三人で
父方のご先祖様のお墓参りに信州 上田に行き、親戚の方にあちらこちらとご案内頂きました時、
イクシマ・タルシマ神社に参拝したことがありましたので、ホツマツタヱを学ぶ中、
この名前が出てきた時には 嬉しくなったという話も致しました。
皆、ここまでお聴き頂き、
炎を吐くなどして困らせるヲコロというモグラのようなものを、殺したり追い払ったりするのではなく、
なぜその様なことをするのだと問いかけ、そのものの声を聴く大物主クシヒコの在り様、
そして、聴いたことを そのまま
皇孫キヨヒト君にお伝えになり、
キヨヒト君も それをちゃんとお聴きになって 直接、ヲコロの兄弟に勅りをなさっているところに感動。
神様として名とお役を賜ったら、どんなに嬉しいことか。
その後は、一生懸命に、喜びながらお役に励むよね〜
このことも、宮作り法の中に書かれていることがすごいよね〜
と、ホツマツタヱの愛ある世界に感動して終わりました。
が、昨夜は、ホツマツタヱの勉強に入る前に、
『寄りそう皇后 美智子さま』の朗読もお聴き頂きました
18時から、初参加のMさんも含めて、モグモグタイム(持ち寄りのおやつを食べながら、お互いに情報交換)
ひとしきり話に花が咲いてから本日の朗読講座で皆で朗誦しました、
『寄りそう皇后美智子様 皇室の喜びと哀しみと』から、
「梅みのる頃」 と 「町に花ふる」
の章の内容、想いをどうしても知って頂きたくて私の朗読をお聴き頂く時間にいたしました。
ふたつ朗読するのに40分程になりましたが、その間、皆様、じっと耳を傾けて
中には、目に涙を浮かべながら真剣にお聴きくださって、大変有り難く存じました。
「梅みのる頃」は、平成10年に、上皇・上皇后陛下が、天皇陛下、皇后陛下時代に英国を公式訪問された時に
美智子様が詠まれた御歌から 題を取られています。
語らざる 悲しみもてる 人あらむ 母国は青き 梅実る頃
「語らざる悲しみもてる人」というのは、先の戦争で虜囚の身となった我が國の将兵たちのことでした。
公式訪問の英国で、バッキンガム宮殿までの馬車行列のパレードを歓迎する人々の中に、
古びた軍帽と軍服を着て大東亜戦争の際、シンガポールなどで捕虜になった兵士たちが、
わざと背を向け黙って立ち、示威行為を行っていたのをじっとご覧になって 後にお詠みになった歌です。
捕虜の悲しみを語る人の裏側には語らない人の群れがあることを知らせ、
語る人の悲しみと語らない人の悲しみをひとしくみつめ、お互いに共有しようと呼びかけられたものと思うと
宮崎先生は、お書きです。
平和は、一方的な弾劾からは生まれない、まず双方の悲しみかの分かちあいから始めなければ
しっかり根付かないと危惧されたのではないか、と。
戦勝国の捕虜たちは、堂々と抗議の声を上げることができるのに、
敗戦国の我が國の捕虜や降伏軍人たちは、南洋やシベリアで虐待され、
強制労働させられ多くの方々が命を取られたにも関わらず、もの言うことができず、おし黙ったまま。
「捕虜として苦しみを経験した」日本人の中には、シベリアの強制収容所に送られ、
不法にも極寒の中、ろくに食べるものも与えられず強制労働をさせられた65万人にも及ぶ抑留者
命を落とした多くの方々も含まれています。
南洋の国々でも、日本人捕虜たちは、英軍、仏軍、オランダ軍、米軍の監視下で
劣悪な環境の中、労働酷使させられ、多くの方々が亡くなっています。
それだけではなく、
「人間でないとみなした有色人種に敗北したことが我慢ならず、冷酷、陰湿な復讐を加えた」
(京都大学名誉教授 会田雄次氏著書 『アーロン収容所』より) の言葉も辛い、
復讐裁判により、降伏した日本軍人を捕虜虐待などの容疑でBC級戦犯とし、
拷問によって「虐待」を自白させ、多くの無実の兵士、
オランダの軍事法廷だけで226人もの日本兵を死刑に処した事実などが この章には記されていて、
今年7月に、愛知県の三ヶ根山の殉国七士廟、慰霊碑にお連れ頂き、
一つ一つご案内頂きました際、見せて頂きお聴きしたことの背景、事実が重なり、胸が痛みました。
今の日本の國の方々に、 世界に、事実をちゃんと知ってほしいと思いました。
知れば、学べば、日本の國、先人、ご先祖様に感謝の心が湧き上がります。
腰を立て背筋を伸ばし胸を張って 恥ずかしくない生き方をしたいと 思えるのではないかと思います。
ホツマツタヱを学ぶ想いと同じです。
自己主張を遠慮しがちな我が國の政府は、もっともっと事実を掘り起こし整理し、
検証して日本側の見方を発信する必要があると思います。
そうしなければ、一方的な見方だけが増幅され、相互理解は遅々として進まない・・
と、お書きになっている宮崎貞行先生の言葉に、大きく頷く私。
ラーゲリに 帰国のしらせ 待つ春の 早蕨は羊歯に なりてすぎしと
慰霊碑は 白夜に立てり 君が花 抗議者 の花 ともに置かれて
(美智子さま 御歌 )
章の最後に、揚げられている美智子さまが記者会見でお伝えになったお言葉は、私が、
様々な活動の基として持っているもの、みなさまにお伝えしていること。
そして、自分自身に常に問いかけていること。
「私は幾つかの國を訪問する機会を得る中で、一國が発信するメッセージは、
必ずしも言葉や行動により表現されるものばかりとは限らず、
例えば一國の姿やたたずまい、勤勉というような、
その國の人々が長い年月にわたって身に付けた資質や習性というものも、
その國が世界に向ける静かな発信になり得るのではないかと考えるようになりました。
その意味で、日本が国際的な役割を十分に果たしていく努力を重ねる一方で、
國内においても、日本が平和でよい國柄の國であることができるよう、
絶えず努力を続けていくことも、大切なことではないかと考えています」
長くなりましたので、一旦おわり
「町に花ふる」 は、この次に書くこと に致します。