ほつままなびや姫路校 9月24日はほつまつたゑ二十一アヤの学び。

 

お集まりくださった大好きなお仲間の皆様と和やかなお茶の時間からスタート。

ひとしきり、それぞれの近況報告などお喋りがすんだあと、

皆で、音読。

二十一アヤは、 アマテルカミの皇孫 ニニギネが

第二代大物主クシヒコ(ソサノオの孫)に、

新しい田を開くために、秀真國新治に宮居を築くことを告げ、

その宮造りの法を、太占によってよくよく考え、後世までの基本となるものを

定めよと 勅りなさったところから始まります。

その勅りをなさるにあたり、 

ニニキネは、 それまでの クシヒコの親であるオホナムチの出雲八重垣の

豊かな國造り・治世の功績を称え、

私も 民が幸せに暮らせるゆたかな國造りのために、まず 宮造りの法をと

クシヒコにすべて任せる勅りをなさる。

 

親である初代大物主クシキネ オホナムチが驕慢により、國替えとなっていたクシヒコにとって

どれ程、有難く感じられたことだったでしょう。

その御心に 見事に応え 宮造り法を定めます。

 

その法が、 現代まで続く 日本建築の基を定めたもの。

家造りの手法、 方角の吉凶、家を守る神々の定めなど、 第二代大物主クシヒコによって

定められたものと知って、本当に驚きます。 感動します。

 

まず、杣(木こり)が山で木を伐り初めの手斧初めは、 太占 暦のキヤヱの日が吉。

ネシヱの日に 、礎の柱、ナカスミ柱(大黒柱)を南向きに建て、

それ以後の柱は、季節によって北東西と めぐり建てること

柱は、 根の方を上に、逆さにして建てることも、もし短くて、継ぎ足すときも

下の方に継いで、根を切って継いではいけないことも、宮造りの法として

定めています。

 

棟上げは、 ツアヱの日に 祝い。

アカコワゐ(赤飯)を炊いて、ソミカシハ(十三膳()をアメ(天)にお供えいたしますが、

アメミオヤ、ミナカヌシ、クニトコタチ、それに、 日と月 との五膳に

ヤカシハ(八禅)を、アモト(天元)八神にお供えし、 これを棟に据ゑ、

合わせて 餅 ミオムソム(三百六十六)と 魔を祓う弓矢を添えます。

 

柱に祭るものとして、 ゐ(五()クラの神のゐ(五膳)、トシノリタマメ神と

ム(六)ワタの神に 七禅を用意して、これにみな、ヒトヨミキ(一夜酒)を添えます。

棟上げの祝いはこのように準備を整える と、クシヒコが法を定めました。

と、 お伝えしておりましたら

お仲間の 力子さんが(旧家のお生まれで旧家に嫁がれた)

 

「 私の住んでいる集落では、少なくはなってきたけれど 今も、棟上げの時には、

 366個のお餅をつくって、皆に配るわよ。 餅投げをするわよ。」と仰いまして。

 

田舎で育った私も、 他の方々も 50代頃から上の田舎で育った者たちは口々に、

「私の子供の頃にも、 棟上げの家は、必ず餅投げをしてましたね。 

お餅の数が366個だったかは知らなかったけれど、楽しかったわ。

お膳とお神酒がお供えしてあり、柱に弓矢が括り付けられていた景色を

懐かしく語り合いました。

魔を祓う弓矢は、 大黒柱の上、お座敷の天上裏に棟上げのあと 置かれていることも

力子さんに教えていただきました。

 

ニニキネさんの時代、第二代大物主クシヒコさんによって定められた 宮造りの法が、

昭和の時代までは、確かに受け継がれていたこと

その法の一つ一つが 宇宙の法 太占により 定められたことを学び、皆で、

またまた、 大感動いたしました。

学べば学ぶほど ご先祖様方の尊さ、凄さに喜びが湧き上がり 誇りに思います。

そして、 だからこそ、 

これほどの 叡智を 消してはいけない。 無くしてはいけない。と、 

また さらに皆で、熱く語り合い、 確信しあって、この日も終わりました。

 

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