私は接遇マナー・コミュニケーション講師、コンサルタント、司会など、
主に人前に立つ活動を1996年からさせて頂いております。
長年、『苦難福門』の人生の豊かな学びも体験してきました。
研修や講演などで、その体験から学んだことや、
それぞれの場面で出逢わせていただきました方々から頂きました有難い言葉や学びをもとに、
ご指導や、お話させていただくことが多い 今です。
そこそこがんばってきたと思っています。
お陰様で、本当に、自由に、
自分を生きられる様になったと思っておりました
毎日、毎日、本当に、ありがたく、
自分のことが大好きになって、
幸せだーと、思って毎日、生きておりました
コロナちゃんで、3月からは、ほとんどの研修・講演などキャンセルとなりましたが、
不安や恐怖に支配されることなく
穏やかな気持ちで日々を過ごせているのも、
田舎の実家に戻ってきているからこそ、皆様のために出来ることを、と
いろいろ動かせて頂いているのも、
さらに言えば、
日々 穏やかに感謝の中で過ごさせて頂いているのも、
お支えくださる大好きな皆様がいてくださっているから、
34歳の時に、家業が破産してすべてを失う経験をしているから、
その後も、DV、 祖父母の介護から、両親の死 ・・ etc.と
様々に 体験させて頂いているから・・・・
でも、 すべて よし!
有り難い 有り難いと 自分の中で 収めてきました。
実は2020・7・16 初めて『倫理指導』というものを受けました。
私は、2014・12月から、縁あって、西姫路倫理法人会の会員になっています。
でも、約5年半、倫理法人会入会者の大きな特典である 『倫理指導』を受けようと思ったことは
一度もなかったのです。
ですが、
何やら最近、私のまわりで、『倫理指導』をお受けになった方々の、(本当に、良かった・・。)
という話を聴く機会が多く、 少しずつ心動かされ、 何事も経験! ものは試し!と。
(ごめんなさい。方面長さま)
結果、 本当に受けて良かった 感謝でいっぱい と思える
嬉しい有り難い時間になりました。
私に、受けることをお薦めくださった皆様にも、心から感謝です。
まず、私がいただいたのは、
大きな 承認と肯定の言葉。
客観的に見て、と前置きをなさってから頂いた 承認と肯定の言葉。
これまでの私の人生を 承認・肯定 してくださった。
嬉しかったです。。有難かったです。。とても。
それから、私がこれからここで為し遂げてしていきたいと思っている使命のお話をいたしましたら、
顕界 と 幽界 。 祖霊迎拝 。 誓願 。
のお話をしてくださって
「山本さんの実現したいと思っていらっしゃることは素晴らしいです。 が、
壮大で、ひとりの力では叶えることが難しいでしょう。
多くの方にお力を貸していただけるようお願いしましょう。
中でも一番の応援者になって頂けるようにお願いするのは、
ご両親です。
毎日、仏壇の前に手を合わせていらっしゃいますね。
でも、お願いはしていらっしゃらない様に思いますがいかがでしょう?
生きていらっしゃる時と同じように毎朝、仏壇の前に座って話しをして、今の報告もし、
そしてお願いしましょう。 ご協力を頼みましょう。」
「助けてって言いましょう。 言っていいんですよ。」
「そして、夜には、今日も一日、無事に過ごせました。 守ってくださってありがとう。
とお礼を言って休みましょう。」
私、中村文昭さんの講演で、夜中に、ご先祖様のお墓に行って、
前で悩みを話していらしたことも聴いていました。
仏壇の前に座って、亡くなったご主人様やご両親に語り掛けていらっしゃる方々も存じておりました。
でも、私は、 私自身には、神様にも、両親にも、祖父母にも、その上のご先祖様にも、
「ごめんなさい」と、「ありがとう」しか、言ってはいけないと思ってしまっていました。
これまでの人生の中でも、生前の両親にお願いしたことは、
破産したあと、「話し方教室」に見学に行って、どうしても通いたい。通わせてほしい、
と頼んだことくらい。
あとは、子どもの頃の食事のメニューの希望くらい。
ほとんど、両親にも自分から何かをお願いしたこと、頼んだことがありませんでした。
ずっと、ずっと
幼い頃から想いを口にしないで生きてきた私でしたから。
赤塚髙仁さんの『聖書塾』の中で、そして、最近もずっと見ているDVDでも、
世界最古の短編小説といわれているという 「放蕩息子」のお話をお聴きした時、
親の仕事を良く手伝い、いい息子として正しく生きているけれど、
自分を喜んで生きていなかった長男の姿が、幼いころからの私の姿と重なり、
(これが出来ていなかった。わかっていなかった。
その中にあっても、すべてに感謝し、自分を喜んで生きてこなければいけなかった。
感謝が 足りなかった。 楽しんで生きていこう。
神様が一番望んでいらっしゃることは、正しくいきることではない。
自分を生きること。 喜んで生きること。)
と、 とても大きな 深い氣付きも頂いていたのですが、
それは私にとって、大きな氣付きで、大きな喜びだったのですが、
そこでとまっていました。
本日、「 お願いしましょう。」と、明るくお伝えいただいた時、
初めて、
( 私、放蕩息子であっても良かったんだ。
長男でなく、 放蕩息子の次男を生きても良かったんだ。
今からなってもいいんだ、気が付けば。 立ち返れば。
甘えても、頼っても。お願いしても。)
と、思えたのです。
すごくかるくなりました。わくわくしました。
涙が溢れました
『倫理指導』の先生のお口をとおして、私に必要なものをおろしてくださいました。
自分の身を低くして、こころ素直になって、
求めること、体験・出逢い、やはり大切でした。
ありがとうございます。 お蔭様です。