『聖書のなかの女性たち』
高校2年の(多分)現国の教科書にこの本の中に書かれている
「ヴェロニカ」がありました。
重さ70キロもあったといわれる十字架を背負わされ、
ゴルゴダの丘で処刑されるため鞭打たれながら
「モリア山から低い谷間をくだり、都の西門までの急なる・・」
その曲がりくねった石だらけの乾いた 熱い石だらけの坂路を、
素足で歩かされた キリスト。
血にそまった足を曳きずり、茨の冠をかぶせられ、よろめきながら、、。
キリストはその途中、幾度も倒れ、
群衆はその倒れたキリストにむかって罵声を浴びせかけた。・・・
私は、この本で『付和雷同』という言葉を知りました。
キリストが喘げば喘ぐほど、倒れれば倒れるほど、群衆は暗い凶暴な興奮にかられた・・・。
その様な状況の中、家かげから走りでてきた一人の女性が、
変わり果てた、泥と唾と血のしたたる彼の顔を自分の額を蔽っていた布で拭った・・・。
キリストの顔を拭った布には、 家に戻って見てみると キリストの顔が映し出されていた。
この女性が、 ヴェロニカです。
周囲の人々の罵声や兵士たちの暴力や妨害をこえて、
胸のしめつけられるような烈しい憐憫の情が溢れ、彼女はこの苦しんだ男に手を差しのべた。
この怖ろしい雰囲気の中で一人だけ、人間をかばおうとした女性、人間がいた・・・。
『私は、付和雷同する群衆になりたくない。 ヴェロニカに なりたい。』
このヴェロニカに出逢ってすぐに、
このお話が入っている『聖書のなかの女性たち』を求めました。
そして、そこから『沈黙』等、遠藤周作さんの一連の本を読み続けた若き日を思い出します。
このキリストが十字架を背負って歩いた細い坂路を、
2015年 赤塚高仁さんにお連れ頂いたイスラエル旅で、
赤塚さんから話を聴きながら歩いた時、
よろめきながら歩くキリストと、 ヴェロニカに出逢えたような氣がしました。