母が生きていた時だったから、もう20年以上前のことだったと思います。
『京都五中』 の同窓会があり、毎年の会場であった 京都の老舗・都ホテルに
父を送って、 母と子どもたちと一緒に行きました。
毎年、同窓会が終わるまで、ランチやお茶室でお茶を頂いたり、 お庭を散策したり、
美しく風格ある都ホテルで過ごす時間を私たちも楽しみにしていました。
同窓会の受付時間まで、両親と子どもたちとロビーフロアにあった
カフェに入ってお茶をしていた或る年の事です。
外からカフェへの直接の入り口から、
大変品のいい老紳士がお一人でいらっしゃいました。
仕立てのいいジャケット。全体の色合わせもセンス良く、とても感じのいい老紳士。
と、 フロアにいらした スタッフの皆様が それぞれに にこやかに丁寧に
「○○さま、 おはようございます。」と ご挨拶をなさいました。
老紳士も、穏やかにあたたかな微笑みを添え 「や、おはよう。」 と会釈をなさって、
そのまま、迷うことなく窓際のひとつのテーブルにゆったりとお座りになりました。
同時に、女性スタッフがお席にいらっしゃって、
「○○さま、 おはようございます。
今朝は日差しが随分明るいですね。 お散歩するのにいい季節になってきました。
(いつもの)、 でよろしいでしょうか?」 と、仰ると
静かに頷かれ、 しばらくして
コーヒーとカリっと焼いたトーストにバターとジャムが運ばれ、
マナー美しく召し上がって 余韻をお楽しみになってから (そのまま) お帰りになるまで、
老紳士は窓辺の光の中、 背筋美しくお座りで美しい一枚の絵を見ているようでした。
スタッフの皆様が優しい微笑みで見送られた頃、 父の友人、
都ホテルの支配人になっていらっしゃったその方が私たちのテーブルに
挨拶に来てくださいました。
ご挨拶を頂いた後、私は今拝見していた美しい老紳士のお話をさせていただきました。
エレガントでとても素敵な老紳士と、おもてなしをなさっているスタッフの皆様の姿が
美しくて、一緒の空間にいられただけでも氣持ちが良くなりました、と。
その私の言葉に対して、語ってくださった内容が、今でも忘れられません。
父の友人であったから、そして、私たち家族が京都に住んでいなかったから、
娘の私に語っていただけたのかと存じておりますが。
○○様(お名前は覚えておりません)は、
京都市内でも有名な代々続く名家。 老舗の会社を経営なさっていたと。
「こちらのホテルを氣に入って頂き、長年、毎朝、あのお席で
コーヒーとトーストを召し上がって一日を始めることを楽しみになさってくださっていました。
ですが、時代の流れの中
破産され、 すべてをなくされました。。 」
その状況の中、ショックのあまり 一気に認知症になってしまわれたとのこと。
破産したこと、すべてをなくされた日からの記憶と認知もなくされて、、、
破産の嵐が過ぎた 『ある日』 から 毎朝、こちらに通われるようになり
依然と変わらない
静かで穏やかな朝のコーヒータイムをお楽しみいただいていますとのことでした。
それまでの生活の中、コーヒーの代金をご本人がその場で支払う習慣がなかったから
召し上がったあとも (そのまま )ご本人は不安なく 穏やかにお帰りだったのかと
思いましたが、 それなら にこやかに見送られたあと、お代金はどうなっているの?
と、思ってお尋ねしますと、
「○○様には、何十年もこちらのホテルを可愛がっていただき、
大変お世話になって参りました。
皆と相談して、 ○○様のコーヒー代位、 ホテルでお立て替えさせていただこう、
○○様が通ってくださる限り、これまでと同じように毎朝お迎えさせていただこうと、
存じました。」 と お話しくださいました。
心があたたかくなりました。
感動しました。
こんなあたたかな眼差しで 見守っていらっしゃったのです。
その後、お会いすることもお尋ねすることもございませんでしたから
〇〇様がいつまで、お幸せなお時間をお過ごしになったのかはわかりませんが、
きっと、その後も数年、あのままお幸せにお過ごしだったのではと存じております。
流石、 日本が誇る 都ホテル。
その様なあたたかな眼差しと 思い遣りある生き方をしていきたいと 存じます。
ご縁に感謝。