(今、私が安志で暮らしていたら、どうぞお越しくださいと言えたのに。)

平成30年11月末、32年間住み続けた
姫路城や姫路駅近くの便利な土地を離れ、 安富町安志という姫路駅から北西に車で約50分の実家、
古い日本家屋で、座敷など、隙間風ぴゅーぴゅーの家に住まいを戻した理由は、
父が亡くなって以来 空き家になってしまっていたこの家を
このまま 朽ち果てさせたくない、との想いもありました。
手放すのも抵抗がある、との想いもありました。

父が亡くなったあとも、誰もいない家に毎月2日ほど帰って、すべての窓を開け風を通し、

届いている郵便物などの確認をして、家の中や周りの片づけや掃除をする・・。
仏壇に手を合わせ、生前の祖父母・両親の遺品の整理、荒れ放題にどんどんなっていく庭や畑の姿に

こころを乱しながら・・。

 両親も祖父母も、人が家にお越しくださることを喜ぶ人たちでした。

空き家になって、荒れていく家、管理が大変・・。
仏壇も放っておけない・・。
でも、実際 ひとりで住むのは、大変・・。 不便・・。
子どもたちがそれぞれ家を離れていき、一人暮らしになってもずるずる と 悩む日が続いていましたが
その間に、 何度も、何度も、 何度も、 この言葉を 思いました。

(今、私が安志で暮らしていたら、どうぞお越しくださいって
言えるのに・・。言えたのに。)

阪神淡路大震災の時は、その前に家業が破産していて自分たちが生きていくだけで精一杯。
実家も祖父母の介護に両親が苦しんでいるとき。
そんな余裕はございませんでしたが、
未曽有の東日本大震災の時、  千葉にいる従妹の娘は出産したばかり。
東北だけでなく、関東も
水も電気もない、原発の放射能漏れの不安が続く日々でした。

ご縁が繋がった 福島のご家族も小さなお子さんがいらっしゃった。

こちらからお水や物資を送ることなど、私にできることはさせていただきましたが、
揺れが続く不安な土地で不自由な生活を続けなくても、
田舎の実家は、数人ならいつでも寝泊まりできました。

(乳飲み子を抱えていらっしゃるお母さん、

お子さんと一緒に落ち着くまで私の家にいらっしゃいませんか?
庭も畑もありますよ。とんびを見ながら、のんびり散歩もできますよ。  

赤ちゃんが泣いても、 大丈夫ですよ。)
そんな言葉をお伝えしたいと、 何度も、何度も思いました。
その後、なんどもおきた災害のたび。

でも、言えなかった。 自分が住んでいなかったから。

お陰様で、これからは言えます。
言えるようにしていきます。
暮らしている安志の家は、ひとりで暮らすのには、広いです。
『みんなの家』 にしたくて、 だから帰ってきました。

お陰様で、この家に戻りましてから、 この家で、
ホーリーバジルのおたまちゃんや、赤塚高仁さん、竹布の相田さんのtakeboccoちゃん 

ホツマツタエ勉強会 などなど いろいろセミナーもさせていただき
多くの方にお越し頂けました。
昨年3月には、福島月間として、福島のドキュメンタリー映画の上映会も致しました。

災害など何かがあった時だけでなく、
ご自分の田舎のおばあちゃん家に遊びに行くように、
お気軽にお越しいただける  そんな『みんなの家』 につくっていきます。
ここにいたら  息ができた・と 思っていただけるような
みんなの笑い声と のびのび~の深呼吸、
光がいっぱいあつまる
そんな空間にしていきたいと思っています。。

お気軽に声をかけてくださいね。
そして、
そんな想いは持っているのですが、ひとりでは 片づけだけでもなかなか進みません。
一緒にそんな 『みんなの家』つくりを楽しそうと思ってくださる方、
ご参加ただける方も、 どうぞお気軽に声をかけてくださいね。