令和2年1月、清藤直樹先生の 神戸ホツマツタヱ勉強会。
9文(アヤ) 御機の九(みはたの こ) 八雲打ち琴創る文(やくもうち ことつくるあや)
清藤先生は、一番好きなアヤ だと仰いました。
アマテル大御神の弟として、素直にあれば 玉鋼(たまかね)ともなる身の上にありながら、
自らの身から出た錆により、罪人の下民として 流離の身となったソサノオが、
元はアマテル大御神の北の局 内侍妃 ハヤコの化れの果てである 八岐の大蛇の
人身御供となった 七娘の妹、 残る一人のイナタ姫の噂を耳にし
身の内に、正義感が甦り、 大蛇(ハハ)を退治する。
( 大蛇を切った剣を、ハハキリの剣。大蛇の尾先から出てきた剣を、ムラクモの剣。
これら二剣が、ソサノオの子孫に宝剣として受け継がれ、
ムラクモの剣は、神武天皇 タケヒト君ご誕生に際し、天(あめ)に献上され、
時を経て、 ヤマト姫を通じて、ヤマトタケ君が授かり、草薙剣と名を変えていきます。)
ヲヲヤヒコ、 ヲヲヤ姫、ツマズ姫、コトヤソ、の子をさ授かってのちも、
自分の心持・態度の悪さ・驕りから、 6つのおおきなハタレの乱を
引き起こしたことに氣がつき、 隠れ住んでいたソサノオ。
兄であるツキヨミの息子の イフキドヌシが
ハタレ魔の大原因 ネのマスヒトを断つ命を受けて 出雲路を進むおり
その道沿いに身をかがめ佇む。
笠、蓑、剣を投げ捨てて 何かを訴えんとする その大きな眼からは
滝のように落ち下る涙。
その姿に気付いた 甥のイフキドヌシ。
叔父は甥に向かって シム(心魂・血縁の者)の過ち 償えと願い嘆き歌う。
アモニフル アガミノカサユ (天下にふる 吾がミノカサゆ)
シムノミキ ミチヒハサマデ (シムの幹 三千日はさまで)
アラブルオソレ (荒ぶる恐れ)
(吾が身の瘡によって 天下を揺るがせ、また、血族の根幹をも三千日の間、
こんなにも 荒ぶることにしてしまったとは、私のとった行動に恐れおののき
悔やむばかりであります。)
と、 地に這いつくばって悔恨の情を歌う姿に、 馬上のイフキドヌシも、
駒より下りて、 ソサノオの手をとり引き起こし、 血族のよりを戻す。
この場面を涙浮かべるように語られる清藤先生。
このあと、 無事、ハタレ根も、シラヒト、コクミヲロチも悉く討ち果たし
改心したソサノオは許され許され 高天は喜びにあふれる。
そして、 アマテル大御神から、正式にイナタ姫との結婚も、宮造りも
その地を治めることもことも許され、
大御神から、八重垣、幡も賜った ソサノオは、
奇霊(くしひ)の恩頼(ふゆ)により 清地(すがは)に宮を築くこととし、
サホコ國 と呼んでいた地の名を イズモの國とし、宮の名を奇(く)しイナタ宮とする。
(私の心に 正義を呼び戻すきっかけを与えてくれましたのが、イナタ姫でありましたから。
そしてまた、この國は、私に初めて 功績(イ さおし)を立てなければと氣ヅ かせて
くれた基(モ とい)の國でもあり、また、今后、民の親として、功績(イ さおし)を築(き
ヅ )いていく基(モ とい)の國でもあります。
そこで、私は、 國の名も、 イヅモ の國と改めようと思うのですが、いかがでしょうか。
と、アマテル大御神にご相談になり、許されて
サホコ國 変えて イヅモの國は これ
天の道もて 民 安く (イヅモの國の 大いなるかな)
その宮作りの間に、イナタ姫が妊み、その時の心境を歌に詠んだのが
ヤクモタツ イヅモヤエガキ (八雲タツ イヅモ八重垣
ツマコメニ ヤエガキツクル (妻 篭めに 八重垣作る
ソノヤエガキヲ (その八重垣を
( 八重谷に立ち昇る叢雲の下に棲むヲロチを断ち また ハタレ根を断ち
清地にかえた地をイヅモの國と改めました。そして八重垣の剣臣を拝受した。
そんな時、妻が身篭りました。
私はこの妻と生まれ来る子を宮の奥に篭め八重垣を作り、その八重垣を
何としても守り抜こうと心に誓っています。)
清藤直樹先生の訳。
この様に 読み解いてくださる。
出雲の名の由来 に 驚きと感動を頂く。
神出神社が、ソサノオとクシイナタ姫がはじめに宮作りして暮らした地。
初代オオモノヌシになる クシキネが生まれた地。
クシキネ ヲホナムチは、コトに優しく。 殊に優しく 又 言に優しく。
どこに行くにも 常に大きな種袋を肩にして、 田に水を引くために欠かすことが
出来ない槌を持ち、槌は 土を培ふ 神宝と民に示しながら
万民の宝は 田から来るぞと 教えてまわった。
その姿は、 今に伝わる 大黒様。
豊かな 民が居を安く 安心して暮らせる地をつくっていった。・・・
ホツマツタヱには、 今に残る言葉や 地名がたくさん。
尊い教えや、 日本のこころがたくさん。
学べることが嬉しい。
ホツマツタヱに出逢えたこと 本当に有り難い。