令和2年1月、ご縁を頂いている
姫路木鶏クラブの新年会。年の初めの例会。。。✨✨✨
姫路護國神社での参拝、勉強会までは、
新一年生の集い の、司会などで参加することはできませんでしたが
何とか、懇親会だけは19時到着、間に合いました。🌸🌿✨
「参加者最後のひとり、到着です。 えりちゃん、早速だけど、一言挨拶を・・。」
ニコニコ笑顔で三木英一先生がご紹介くださって、
皆様への新年の挨拶と遅れてきたお詫びと、
なかなか木鶏クラブに通えていないお詫びご挨拶を、お伝えしていたら
井上秀樹さんが、お側に来てくださって
「 あなたから教えてもらったナイルさんのことをお話したんだけと、
うまく伝えられなかったから、皆さんにあなたから話してよ。」と。🌿✨
東京裁判の時、世界に向けて、『日本は悪くない。』 と、
ただひとり、声をあげてくださった インドのパール判事。🌿✨
そのパール判事に、日本の国柄、御皇室のこと、歴史、精神、文化、
市井の人々の暮らしなどなど、
毎日宿泊先であった帝国ホテルに通いお伝えくださいました初代ナイルさん。🌿
祖国インドの独立運動に身を投じていらしゃった高校生のナイルさん。🌿
イギリス当局から目をつけられて、身の安全のために
ご両親が、日本へ留学を勧められました。✨✨
日露戦争で、有色人種で、唯一白人社会に勝った国、日本。🇯🇵
しかも、それは、力で勝ったのではなく、東郷平八郎という素晴らしいリーダーの下、
日本は、徳の高さで勝ったのだ。
だから、兄と同じ様にあなたも日本に行って学びなさいと、
ナイルさんのご両親は仰ったそうです。
京都帝国大学に入学され、 多くの日本人と交流の後、
卒業後は、満州大学の建設にも携わられ、満州大学の教授として終戦まで。
終戦後、捕虜として捕まるも、インド人だったから、一早く解放。
すぐに、日本に戻られたお陰で、
パール判事のもとに通っていただくことが出来ました初代ナイルさんのお話。✨✨
そして、
カレー大好きな上皇陛下に出前を頼まれ、皇居のお住まいの場にいらっしゃった時
お会いになる当時の天皇陛下ご一家の美しいお姿、日本の国柄、人々の生き方を。
「日本人、何してる!❗️
いつまで自虐思想に支配されている!!!びっくり!❗️
しっかりしなさい。!❗️」 と
熱く熱く語ってくださいました2代目ナイルさんのこと、
また、昨年12月、
5年ぶりにお店に伺って、改めて、やはり感動して、
この想いをお伝えしたくなって、帰りにレジの方に、
テーブルにあった紙ナプキンに慌てて書いたお礼の手紙をお言付けしましたら、
「あの時にお越しくださっていた方なのですか。
🌿私、あの時、サービスを担当していた者です。 お懐かしい。
当社の社長は、歴代、皆、日本が大好きで、今も志高くおります。ありがとうございます。」
と、ご挨拶くださって、大変お喜びくださいましたことなど、
お伝えさせて頂けました。
🌿
お陰様です🌿