卒業アルバムに残していた 父の言葉。
父の本棚を整理していて見つけました。
私の知らない35歳の父がそこにいる。
戦前、戦中、戦後を生きた父。その体験を辛かった、悲惨であったなどという表現で一度も私たちには語らなかった父。
ただ、死の2ヶ月程前に、ひもじさと母親への悲しい想い出を初めて語ってくれた時の他には。
この贈る言葉を読んで、学生時代の父の想いを初めて知った気がした。。
『Stick to your bush」
終戦後20年、希望に満ち、I高等学校第1回卒業生として新しく門出する諸君を心からお祝いする。
本田技研社長の言葉に「若い芽は巌も割る」とあるが、若い力、たくましいエネルギーをぶちこめる新しい生活が諸君を待っているのだ。
これまでに培ってきた力を、I高魂を存分に発揮してもらいたい。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」などと教えられ、学業を中断して旋盤に向かった僕たちの学園生活は悲惨なものであったが、深夜 作業のあいまに登校して教えてもらったことはよく覚えている。
その頃のリーダーにこんな話が出ていた。
多数の友と一緒に、木いちご狩りに行った少年が「大きいのを見つけた」「ここにたくさんある」などと呼び交わし、走りまわる友の姿にも迷うことなく一つの茂みで摘んでいた。
家を出る時に父から聞いた「Stick to your bush」という言葉を忠実に守っただけだが、帰りにはほとんど空っぽの籠と疲労とを持ち帰る級友たちとは反対に籠も元気も一杯であった。
成人後の彼は前途の不安、他社からの勧誘にも打ち克ち 遂に最初の職場で成功した・・・と。
現代のビジネスマンでも入社後3ヵ月、3年、10年目に危機が訪れるとよくいわれている。
新しい出発にあたり、諸君にも、
「Stick to your bush」という言葉をお贈りしたい。
Y高校の図書室で「諸君入学おめでとう」と言ったのはこの間のように思えるのに、早くも卒業かと思うとやはり淋しさを抑えきれない。
新校舎落成、待望の独立式とめまぐるしく変貌した3年間であったが、こうした中での数々の思い出は生涯忘れ得ぬものとなろう。
諸君卒業おめでとう。
ご多幸を祈る。
(昭和40年2月26日 I高校新聞より)
もう一冊には、自筆で
『夢見ることをやめるとき
君の青春は終わる』
(昭和41年の卒業アルバムより)
父は、どんな夢を持っていたのか
尋ねたこともなかった。考えたことがなかった。
ずっと父は、 自分をおさえ、私たちの為に生きていた様に
思う。 ごめんね。
生徒に 夢見ることを贈った父の夢、
聴きたかった。聴いてやればよかった。
実家の片付け、様々なことに出逢えます。気付かされます。
有難いです。