神渡良平先生のイタリア・アッシジの旅でご縁を頂いて以来、
愛媛のおにいちゃんと呼ばせていただいている 松山市の松本一志さん。
お若い頃から坂村真民先生に導かれ、
ご家族とも、とても親しいご縁を結ばれている松本さんにお声をかけて頂き、
坂村真民記念館がオープンして間もない頃、行かせて頂きました。
それまでにも、養心の会、修養団、志帥塾でご縁をいただいた皆様から真民先生の詩には沢山出会わせていただいていましたが、
この日、展示室の入口を入ったところにかけてあった
『わたしの詩』の前に立った途端、
何故か私の中から、ぼうぼうと涙があふれてきて
身動きできなくなり、そのままずっとその詩と向き合いながら 泣き続けていたことがございます。
松本さんや案内をしてくださっていた館長さんが次に進まれても
ぐるっとまわられて出口まで進まれても、ぼうぼうと溢れてくる涙は止まらず、そこから離れられなくて、
でも、次に行く時間があるので、仕方なく、止まらない涙をふきながら 出口のところまで行き、
そのまま後を追いかけて出ようとしたその時に、
館長さんが、私を呼び止めて、こうお伝えくださいました。
「ずっと泣いてるあなた。
あなたはそのまま出ちゃいけません。
そこに、真民先生が暁天の祈りをなさる時、額をつけて祈られていた石があります。
あなた、その石に額を付けて祈ってからお行きなさい。」と。
それから、有難いご縁が繋がって、有難いご縁を頂いて、
父の七回忌の法要の一週間ほど前、私のもとに来てくださった
真民先生のお軸 『連理の朴』は、
本当に、いつも夫婦仲良く、何より家族を大切にしてくれた両親の想いと姿と重なり、真民先生の尊い精神とお姿を伝えてくださるものとして、
実家の床の間に飾らせて頂いておりました。
今年4月の始め、片付けの為、実家の裏口を開けた私の目に飛び込んできたのは
爆撃を受けたのかと思うほど、荒れ果てた室内と、土埃で黄茶っぽくよどんだ空気。
慌てて、家の中に入り、あちらこちらと各部屋を見て回りましたが、
どの部屋もどの部屋も、まんべんなく椅子は引き裂かれ、壁は落とされ、
室内に置いていたもの、飾っていたもの、土壁と一緒に散乱している酷い有様で
言葉を無くすほどでした。
(アライグマ事件として、以前にも書かせて頂きましたが、犯人は ハクビシンだったようです。)
が、その中にあって、
床の間に飾っていた真民先生のお軸は、
そのお軸の後ろの床の間の壁は、中の竹がむき出しになる程、 ボロボロに崩されていたにも関わらず、
お軸に掛けていた風鎮が落とされ、土壁の山の中に埋もれていたにも関わらず、
無傷で、その淀んだ座敷の空気の中、荒れ果てた景色の中、
神々しい姿で、そこに掛かっていたのです。
後から調べると、下の表装の端が1㎝ほど薄くなっていたのですが
それだけです。 『奇跡』を見せて頂きました。
そして、お蔭で、改めて、
やはりと 気が付かされました。
氣の高いものは 守られる。 本物は 守られる。
これは、真民先生のお軸だけの話でなく、
すべてのものに通じることと存じます。
自分を磨いて、磨いて、磨いて、
我 を無くし、天の意にそって、美しく生きること。
美しく あれば 守られる。
人を責めたり 裁いたり 依存したり 騙したり 大騒ぎしたりしないで
ひとりひとりが 氣を落ち着けて ただ自分を磨くこと。
そうすると、尊い氣に包まれて、守られていく。
大切なことは ただ 自分を磨くこと と。