今年 5月16日に
西城秀樹さんが 永眠されました。
新御三家のひとり、私が10代20代のころ、
彼は正に輝くスターでした。
ワイルドで、カッコよくて、明るくて、やさしくて、
少しハスキーボイスの歌が本当に上手で。
きらきら輝く太陽が似合うスポーツマンの彼には、
病気など無縁と思っていました。

 

その秀樹さんが、48歳で脳梗塞を発症され、56歳で再発

なさったことは存じておりました。
そして、それでも舞台に立ち続けていらしたことも。
けれど

 

63歳で亡くなるまで、
愛する家族を想い、守りながら、また守られながら、
常に明るく、前向きに、愛情深く

懸命なリハビリと、病と、歌手活動の日々を過ごしていらしたこと
知りませんでした。
亡くなった後、様々なニュースや番組で知り、胸が熱くなりました。
これ程、凄いスーパースターだったんだと 改めて感動。

それらの追悼番組の中、
『徹子の部屋』に出演されていた26歳と32歳の時の秀樹さんの
お姿を拝見して、
若い頃のその見た目の素敵さ、美しさだけでなく、
話されていた日本語と話し方の美しさに心惹かれました。

26歳の人気絶頂期のお若い秀樹さんの、言葉の美しさ。
座り姿の謙虚さ。美しさ。そして、人間としての落ち着き。

(その後、映った32歳の時のお姿は、さらに落ち着いて豊かでした。)
徹子さんの問いに、常に爽やかな笑顔

 丁寧にゆったりとした話し方で、
きちんと姿勢を正し、にこやかな目線を徹子さんに合わせ
「です。」「ます。」他、敬語も美しくきちんと整えた言葉で話されていて
音として聴いているだけでも気持ちが良かったです。
内容は、周りへの感謝と思いやりにあふれたもので、さらに
清々しくなりました。
その姿に引き込まれ聴き入ってしまいましたが、
若い頃ずっとファンであったことを誇らしく思える
若き日の秀樹さんの姿に、有難く存じました。

誰からも、
「まったく悪意のない、素直で素晴らしい青年だった。」
「明るく、優しく、とても親切な人だった。」
という言葉が寄せられていて、
若い頃 芸能界にいたという私の知人も、
「芸能事務所にいても、無名でその他大勢の中の私たちのところにまで ご自分から足を運び、爽やかな笑顔で、
(今日もよろしくお願い致します。)
と挨拶をしてくださっていた方でした。」
と、教えて頂きました。
二度の脳梗塞で、立ってるだけでも大変という状態になられても、
ずっと舞台に立ち歌い続けられた秀樹さん。
『同窓会コンサート』に、
小川知子さん、あべ静江さんや同年代の歌手の方々と
一緒に立ち続けられたその存在の大きさ。
どんな状態になられても、ご家族を含め、
つねに周りに多くのお仲間が集まられ、
共に歩める人々に恵まれていらっしゃったのは
西城秀樹さんのお人柄と生き方が素晴らしかったからですね。
つねに謙虚に、人を大切に、愛されてきたからですね。

それから、
『徹子の部屋』を見た時、
当時は、秀樹さんだけでなく、殆どの方が、
この位の言葉を話していたのではなかったかしらと思いました。
年長者にため口なんて、もっての外。
同世代にも もっと丁寧に言葉を使っていたと思います。
なぜなら、特別に、秀樹さんの言葉が美しいと当時は思っていませんでしたから。
自分の口から出す言葉。 音の波動。言葉の波動。
言葉・声には、自分の心をつくり、人生も、周りの環境もかえる力があります。
少しでも美しく、丁寧に、やさしい声と言葉を自分自身もこころがけたいと思うとともに
若い世代の方々にも、その大切さをしっかりとお伝えしていきたいと改めて存じました。