2015年12月 清掃ご奉仕に伺った時、皆で 夕食に銀座にあるナイルレストランに伺いました。
こちらの ナイルレストランは、今上陛下が 皇居から出前にとられるお店 二つのうちのひとつのインドカレーのレストランです。
そして、 初代A・Mナイルさんは、昭和天皇から、勲1等を授けられ、晩年は母国のインドで過ごされた方です。
2代目ナイルさんから、食事の前にお話をお聴きすることができました。
当時イギリスの植民地だったインドで、高校時代から独立運動に参加されていたAMナイルさん。
身の危険がせまった時、日本に留学してこられました。
初代ナイルさんのお父様が、日本に学びなさいと仰ったそうです。
有色人種で白人に勝った国はひとつ。日本だ。
世界一といわれた、ロシアのバルチック艦隊に小さな小さな国の日本が勝った。
それは、力ではない。
東郷平八郎という素晴らしい艦長と 日本の国の徳の高さで勝ったのだ。
兄と同じように、お前も日本に行き、日本にまなびなさい、と。
そして、1928年、京都帝国大学に入学され
大学に配属されていた将校を通じて 日本陸軍と縁ができ、日本に亡命していた、ラシュ・ビハリ・ボーズと出会い、頭山満、大川周明ら大アジア主義者との出会いに発展。
満州建国大学の客員教授にも就任して愛新覚羅溥儀・溥傑など、多くの人々とも親交を持った。
敗戦後、 東京裁判で唯一人、日本は悪くない、と
世界に向けてメッセージを出し続けてくださったパール判事に
日本が戦争をせざるをえなくなった事情、日本の国柄、皇室の尊さ、存在の重要性など
通訳として活躍する前から、毎日ホテルに通って伝え続けてくださったのだそうです。
あの東京裁判のパール判事の尊いメッセージは、ナイルさんの存在が大きかったのです。
日本は悪くない、精神性の高さ、調和の力、日本は素晴らしいんだ。
日本人、自信を持ちなさい。いつまでも自虐思想に陥っていてはいけない。
目覚めなさい。 ・・ と、熱く、熱く、ナイルさんは想いを伝えてくださいました。
陛下がカレーを召し上がりたい時は、ナイルさんの所に侍従さんから
お電話が入るそうです。
カレーの準備をしてナイルさん自身が自家用車で皇居へ。
御所の台所で、準備してきたカレーを温め直したり、盛り付けたりして
陛下ご一家の食卓へお出しになるそうです。
「だから、侍従さんも入れない程奥へ、私は入れて頂いているのですよ。
ご家族で寛いでいらっしゃるお姿もお側で拝見できているのですよ。
お伝えしたい。
普段の天皇陛下 皇后陛下、皇太子殿下・・皇室の方々が
どれ程 素晴らしいか。 尊いか。 」・と、
こちらも 熱く熱く語ってくださいました。