ご会釈の間、私は度々 両陛下と目が合い、 微笑んで下さったと感激していたのですが
不思議なことに 後で 皆さんの声をお聞きしますと
列の後ろや会場の角にいらっしゃった方々も皆様
「私の目を見て微笑んで下さった・・・」 と お喜びになっていたのです。
なぜ? と考え・・ そして 思い至りました。
両陛下は、 会場にいらっしゃる前から、その場に集う 私どもひとり一人に想いをこめて
高い御心で 大切に祈ってくださっていたから
そのお心が全ての方に届いて 全ての方が、( 私を見て微笑んでくださった・・)と、
場所的に、お顔が見えなかったと思う方まで感激なさっていたのだと 思い至りました。
その場に身を置けたことが本当に有り難く、
また、日本の国に生まれてきたことに
さらに、深い喜びと感謝を頂きました。
また更に、
春の皇居雅楽堂の演奏会では、ロイヤル席にお立になって手を振ってくださった時
大きな感動と感謝・学びを頂きました。
2階席の私どもは勿論、1階席の方々も皆、立ち上がったまま手を振ったり拍手をしていたのですが、下から、(うふふふふ)というような、幸せそうな笑い声があちらこちらから聞えてきました。きっと皆様、ご自分が声を出して笑っていることにお気付きでなかったと存じます。
仕合わせに輝くお顔で、目からは皆ポロポロ涙がこぼれているのです。
その姿を見せて頂けたとき、気付かせて頂きました。
それまでは、例えば、東日本大震災の被災地にいらっしゃった時、冷たい体育館にスリッパもはかず、膝をつき、手を着き、被災者の方にお声をかけていらっしゃる写真など拝見すると、声をかけられている被災者の方が皆 穏やかなお顔をなさっているのを見て
家族も家も全てを失くされた辛い辛い状況のかたでも、陛下の前では 礼儀として微笑もうとなさっていると思っていました。
でも、雅楽堂で 皆様の様子を拝見できた時、いや違う、と存じました。
どんなに辛い状況であろうとも、この方がたは 陛下にお言葉を頂いている この瞬間だけは、きっとすべてを忘れられているのに違いない。
天皇皇后両陛下は、それ程の存在なのだと、
そして、それは、けっして、天皇 という名前や肩書、などというものでなく
ただひたすらに、国民の幸せを祈り続けてくださっている存在であるから。
病気も、災害も、苦難も、すべて私の体を通してくださいと 祈ってくださっている存在であるから。
何か起こった時、 すべて自分の至らなさから この様な事象が・と、すべてをご自分の責任として、祈り詫びてくださっている存在であるから。
私たちは、お会いするだけで有り難く、幸せを感じることができるのだと 存じました。