亡き父の幼馴染みのおじ様方とお食事。
11月末、京都駅伊勢丹ビル内の加賀屋さんで、
大藤のおじ様と大西のおじ様に、3年ぶりでお会いできました。
亡き父の幼馴染みの大藤さんと大西さんとのお食事会に
ご一緒させて頂くようになったのは、H14年から。
約15年続いた祖父母の介護そして父の入院などで動けなかった両親が
やっと、自分たちの生活を楽しむ余裕が出来たH13年。
3組の夫婦で集まってお食事会をと京都にお住いのお二人から
声がかかりました。
ホテルシーショア御津岬に宿泊して、ゆったりと楽しい時間を過ごし、
これから毎年一回集まり一泊二日の旅をしようと約束をした
その年末、 母は交通事故で突然亡くなりました。
ひとり残された父を心配して、だからこそ集まって食事会を続けましょうと
お伝え頂いた時から、
母の代わりに私が付き添いで行くようになりました。
幼馴染みのお二人に出会って、本当に嬉しそうに過ごしていた父も
H18年秋に亡くなり、
今度は、 両親を亡くした私を心配してくださって
お食事会をご夫妻で続けてくださいました。
その後、ご家族のご病気やお引越しなどで集まる日が、延び延びになり、
お会いできない日々の中で、父のことを教えてほしいと
思うようになりました。
ホツマツタヱの1アヤに書かれている
ながきよの とおのねふりの みなめざめ
なみのりふねの おとのよきかな
の歌を 元旦の夜 渡してくれていた父。
なぜ知っていたの? 誰から教えてもらったの?
確かめたくても、もう父はいませんでした。
どんな子供だった? 若い頃は何を考えていた?
祖父母は どんな人だった?
気が付くと、あれもこれも何も知らない私でした。
父のことを知りたい ・・
おじ様たちにお手紙を書きました。
そして、 奥様のご病気や いろいろこえて やっと
今年の11月末 久しぶりにお会いすることが出来ました。
それおりに 父の思い出の写真などをお持ちくださいました。
小学から 中学5年生まで一緒だったお二人から、
15歳の父が、大藤さんに贈った言葉・文字や
小学生や 13歳の父の写真など 拝見できて
本当に ありがたい嬉しい時間を頂きました。
赤沼君は子どもの時から、いつも穏やかで思いやりがあって
カッとなった姿を見たことがない。
優しくて、親切。真面目で誠実な人柄だった。
小学6年の担任の先生が 詩吟好きで練習をさせられた時、
皆が逃げても、赤沼君は、熱心に練習を続けていた。
しかも 大変上手だった。
お母さんも、本当に美しくて優しい人だったから、
皆遊びに行くのが好きだった。
秀才。なにをさせても優秀だった。などなど、
仕事で日中は留守だった父のお父様の姿は
お二人ともほとんどご存じなくて、 それはそうねと、
お話聴かせて頂いて 感謝・感謝。
ご先祖様のこと、縦に繋がる命にふれさせて頂けることの大切さ。
改めて気付かせて頂きました。
父が亡くなって10年目の秋、本当に有難く、ご縁に感謝の一日でした。