122日 ご奉仕の後、

夕食は銀座に行って、ナイルレストランのカレー。

ナイルさんのこと、今回初めて知って、

お話しをお聴きすることが出来ました。



中西さんのおじいさまが生前、外務省関係にお勤めで、

初代ナイルさんと親交が深かったご縁で、

特別講演をいただきました。



インド人の初代ナイルさん、A.M.ナイルさんは、



高校在学中から、

当時イギリスの植民地だったインドの独立運動に参加。

イギリス当局に目を付けられ身の危険が迫ったため、

日本に留学されました。



なぜ、日本だったのか。

二代目ナイルさんが 熱く語ってくださいました。



初代ナイルさんのお父様が、日本に学びなさいと仰ったと。




有色人種で白人に勝った国はひとつ。日本だ。

世界一といわれたロシアのバルチック艦隊に

小さな小さな国の日本が勝った。



それは、力ではない。

東郷平八郎という素晴らしい艦長と

日本の国の徳の高さで勝ったのだ。



兄と同じように、お前も日本に行きなさい、と。



そして 1928年、


A.M.ナイルさんは、京都帝国大学に入学されました。



そこで、2つの大きな出会いがありました。

1つは、大学に配属されていた将校を通じて

 日本陸軍と縁ができたこと。

2つ目は、日本に亡命していた

ラシュ・ビハリ・ボーズと出会ったこと。



ビハリ・ボーズとの出会いから、

頭山満、大川周明ら大アジア主義者との出会いに発展。



1933年に国賓待遇で満州国訪問後、

満州建国大学の客員教授にも就任して

愛新覚羅溥儀・溥傑など、多くの人々とも親交を持ち、

・・・ 敗戦・・・・。



一番に、戦犯として逮捕され、すぐに釈放。



そのお蔭で、

 その後 東京裁判で唯一人、日本は悪くない、と

世界に向けてメッセージを出し続けてくださった

パール判事に

日本が戦争をせざるをえなくなった事情、

日本の国柄、皇室の尊さ、存在の重要性など



通訳として活躍する前から、

毎日ホテルに通って伝え続けてくださったのだそうです。



あの東京裁判のパール判事の尊いメッセージは、

ナイルさんの存在が大きかったのです。



日本は悪くない、精神性の高さ、調和の力、

日本は、日本人は素晴らしいんだ。

日本人、自信を持ちなさい。

いつまでも自虐思想に陥っていてはいけない。

目覚めなさい。


 ・・ と、

熱く、熱く、ナイルさんは想いを伝えてくださいました