そうしていたら、また、ふと、 

特高の母 の姿や、乃木大将の奥様のお姿、

歴史のなかで、愛する夫を、命を育み産んだ子どもを

戦地に送り出した、

多くの名もない女性・母親たちのお姿が目に浮かびました。


戦地だけでなく、災害現場など 命をかける多くの場所に。


皆、同じ想いで、愛する人を見送ってきた。受け入れてきた。

そんな想いが、体中に広がりました。

 洋子さんのお蔭でマリア訪問教会に伺うことが出来た時、

そのあたたかな やさしい 美しさ 清らかさに 

やっと救われたような想いが致しましたのは


崇高な愛に満たされていらっしゃったマリア様や、

多くの母親・女性の存在が

見える世界でも、感じられ、大切に守られていること、 

魂のお幸せを

確認できたからたからかもしれません。 

シロアムの奇跡。 

聖書を見ただけでは、わからなかったシロアムの池までの距離。道。


なぜ 唾で泥をこねたものを? と意味が分からなかった、というより、

さっと見て、

ただそんな奇跡を起こしたのだとしか考えてもいなかった

イエス様の行い。


盲人が素直な心で頂き、

自分で行動しなければ奇跡は起きなかった、とお聴きして

初めて その意味の深さに気付くことが出来ました。 


もし自分なら動けただろうか? 

今の自分は、どう? 動けているか? と 問いかけて

全く足りない自分に気付かせても頂きました。


奇跡が起きた後の、盲人の強さ。覚醒。に、勇気を頂きます。


そのことはダビデ王のかけた呪いを解くことでもあったと。

    凄い。