2月22日 田島和子さんご夫妻のルビー婚式パートⅡ
多くの素敵なかたがたとの出会い、再会に感謝。
てんつくまんさんと、筒井のアニキさん
おかん さん そして 弓削田健介さんとも
再会出来て とっても 感動。嬉しかったです。...
てんつくまんさんと 筒井のアニキさんには
2011年3月28日 三田市で開催された
震災イベントでお会いできました。
いろいろと ご活躍のお話はお聴きしていましたし
3.11の日 てんつくまんさん達のネットからの呼びかけに
被災地に届けていただく義捐金も
すぐに送らせて頂きましたが
お二人にお会いしたのは その時が初めてでした。
講演のなかで、
地震直後に東北に駆けつけ、活動を続けられた方だからこその
お話、報告 想い 祈りを たくさん頂きました。
その中で、 てんつくまんさんが仰った
瓦礫と化した東北被災地に きれいな花を咲かせたい。
中でも 放射能を吸い取ってくれる 向日葵を・・。
一面 向日葵の花を咲かせて、みんなを元気に・・。
という 言葉と 熱い 想いのお蔭で
私は、ひまわりの種を お送りすることが出来たのです。
トイレ掃除のお仲間の山形校長先生や 佐用町の組合長さまの
ご協力をいただいて、 私からは
30キロのお米の袋いっぱいのひまわりの種を6袋分
頂いたなかの 4袋を 2011年4月に
てんつくまんさんの ところにお届けできました。
被災地だけでなく、みんなが それぞれ
自分の家に 花を咲かせてほしい・・。
自分の家の 部屋の中に飾るのでなく
外に向かって、 誰にでも 見えるように、元気になれるように
咲かせてほしい。
日本中を 世界中を 花で飾ってほしい。 花で 元氣にしたい・・。
森源太さんの歌 の間に てんつくまんさんが
5メートルくらいの長さの紙に 言葉を書かれて
そのお二人の姿に
一番前の席に座っていた私の隣り
暗くなった会場の中
通路に正座をして、 手を合わせ
ずっと 祈っていらっしゃった姿が美しかった・・。
アニキさんでした。
おかん さん 弓削田さん とは
おかん さん 弓削田さん とは
和子さんの 銀座シャル オープンイベントの時に。
礼儀正しくて、謙虚で、 誠実で・・
もちろん 歌は 音楽は それぞれに
本当に 素晴らしくて、 一度で 大好きになりました。
本当に 優しくて 可愛くて 強くて 素敵な 愛の女性
和子さんと
その和子さんの 〇〇のために という想いを
サポートしてきてくださった まじめ一筋(だった?)ご主人様。
パーティーの前の コミュニケーションタイム。
てんつくマンさんは、 和ねえさんのお孫さんたちと
じゃれあって じゃれあって・・。 その姿からも
本当に、純粋で こころの清らかな方と 思いました。
写真に写すと 空間、オーヴでいっぱいでした。
筒井のアニキ さん。
筒井のアニキ さん。
あったかいです。 やさしいです。 本当に。
嬉しかったです。
和子さんから、笑顔が似てる って言って頂けて嬉しかった。
おかん さん。
会場でお会いした瞬間に、 今日もお会いできて嬉しい と
すぐに握手の手を差し出してくださったこと 私こそ 。
彼らの音楽 歌、 魂のライブに感動しっぱなし。
盛り上がって 一緒に歌って 手を振って、飛び跳ねて・・。
盛り上がりました。
最後の DAIさんからのお祝メッセージにも 涙が出ました。
なんと、実行委員長の伊藤高義さんの想いで
サプライズゲストとして 登場 弓削田健介さんも。
彼の純粋な心 甘い優しい声も歌も 大好きです。
『越えて行け 』 が 私は とくに。
ご本人からは こんな言葉も。
僕は 合唱曲を作る人なので
自分が歌うことよりも
僕の作った合唱曲を 子ども達が歌ってくれ
それを聴く方が好きなのです。
こんな凄い方たちが 慕う田島和子さんご夫妻。
最後に 一番感動したのは
「 おかあさん、 自分がやりたいことを なんでも
思いっきりしたらいいよ。
生きている間に やり残すことがない様に。
それで、もし、全部なくして
どうしようもなくなっても、 その時は
僕(私)のところに 来たらいいんだから。」
会終了後に、 お話をした
田島ご夫妻の息子さんとお嬢さんの会話中の言葉でした。