朝、小学校時代の友人Mちゃんから、電話を頂きました。
お見舞いの手紙と一緒に贈った 高橋全さんのCDのお礼の電話です。
Mちゃんは、高校も一緒。 今は、宍粟市の職員です。
先日、宍粟市民大学に伺ったとき、担当の原さんから、
彼女が、3年前くも膜下出血で倒れていたことを聴きました。
講演会、聴きに行けなくてごめんな、って 伝言頼まれました、と。
びっくりしました。 そして、 でも、そうか・・・と わかりました。
彼女は、宍粟市一宮町に住んでいます。
2009年8月、佐用町・一宮町は、集中豪雨で大洪水となり、
一宮町も、美しい渓谷で有名だった谷も壊滅的被害・・。
家も道路も流される大災害となりました。
やっと外部から入れるようになった翌日、息子と一緒に
泥の除去などのボランティアに行かせて頂いたとき、
市の職員として働いている彼女に会いました。
Mちゃんや職員の方がたにと思って持って行っていた、
栄養ドリンクさえ渡せないほど、
彼女をふくめ 職員の方がたは
多忙を 極めていらっしゃいました。
皆、必死の張りつめた顔・・。
休むことなく、あの状況が何か月続いたのでしょうか・・。
そして、彼女は 倒れたのだと、思いました。
( 宍粟市 災害時一宮町の職員だった方々は、その後
多くの方が、 いろんな病気で お倒れになったということも
その時に お聴きしました。 )
幸い、発見が早かったのと、 ご家族、 救急隊員、お医者様
すべての方々のお蔭で、 彼女は麻痺を残すことなく
ダメかもしれない と言われた命、 助かりました。
その後、 また昨年、別の病魔が襲い倒れ ・・・ でも、、
まだまだ療養も、周りのサポートも 必要ですが、
仕事に復帰できるところまで回復したと聞き、 ほっとしました。
「本当に、2回死にかけた命を、 生かして頂いたのよ・・・。」
その間、ご実家のお父様を亡くし、今はお舅さんの認知症と
向き合いながら、毎日を暮しているそう・・。
災害の時は、 本当に寝る間もなく 必死だった・・。
でも、自分の存在が役にたっていると実感があって、体はしんどいけど
辛くはなかった・・。
(でも、だから、無理をし過ぎちゃうのです。頑張りすぎるのですよね。)
本当に辛かったのは、自分が何の役にも立てていないと感じたとき・・。
私なんか、 いない方がいいんじゃないか・・。
そう感じていた時が、 本当に 辛かった・・ と。
そんな時、偶然、 音楽を聴く機会があって、
その音楽を聴いていたら、知らず知らず 号泣していたそう・・。
それから、何度も、固まっていた心を 音楽が癒してくれて
泣くことが出来たそうです。
音楽 の 力 すごいね。 って。
彼女からのメッセージ: 私の話を使えるなら、 皆に伝えて。
そして、 『泣いて 』 って、 言って。
そして、泣いた後には、 笑って。
泣いてるだけじゃだめだから、 泣けたら、笑えることもして って。
今も、東日本大震災や、いろいろな辛い中にいらっしゃる皆様、
どうぞ 無理をし過ぎないで・・。 頑張らないで。
泣いて くださいね。