大好きな富士市の大村峰緒さんが亡くなりました。
大村さんとは、姫路市、福永道子先生の
あゆみ保育園ほのぼの講演会で初めて出会わせて頂きました。
平成18年の春。
それから、2年後、伊勢で開催された九州志帥塾に伺った時、
バスで偶然一緒になり・・・、ご挨拶をすると
「 いや~、 えりさん、 表情がとてもよくなりましたね~。」
と、再会を とっても喜んでくださって、
その出会いのあと、すぐに 代表世話人をなさっていた
養心の会富士 での 講演に招いてくださいました。
養心の会の翌朝、ホテルにお迎えにきてくださって
一緒に朝食を頂きながら、深いお話しをたくさん聴かせて頂きました。
話しが盛り上がりすぎて、朝食時間をとうに過ぎてしまったほど・・。
大村さんは目が合うと、必ず にっと笑ってくださる方で
「その笑顔が大好きです。」 と お伝えすると、
終戦時、大陸から引き上げてこられた時のお話しをしてくださいました。
まだ、小さかった大村さん、
昨日まで優しかった隣のおじさんや、 日本の兵隊さんが
逃げる道中で、とても怖いおじさんに変わったこと・・。
自分と同じ位の子どもや、赤ちゃんが泣いたり、動けなくなると、
途中で何人も そのおじさんたちに殺されるのを見た・・。
だから、 自分でも無意識のうちに、
殺されないために 笑うことを身に付けたんだと思うんだよ。
本能だったんだろうね・・・。
にこっと 笑いかけてくる子どもは 殺せないからね・・・。
今も 自分では気付かず
お葬式でも笑っていて困ることもあるんだよ・・・。
そんな、お話しもお聴きして、大村さんの笑顔の向こうの
想像もしていなかった 人生を知ることも出来ました。
清水次郎長の菩提寺や、生家を ご案内くださりながら、
次郎長さんの偉業、人物の大きさ等 教えてくださって
元陣屋の宿屋に連れて行ってくださったときには
江戸城無血開城を成し遂げた 西郷隆盛と勝海舟の偉大さ、
それを実現させた 山岡鉄舟と清水次郎長そして宿屋のご主人の
活躍のお話しなど 教科書に載っていない歴史秘話も ・・・。
菩提寺で、次郎長の三人の妻、お蝶さんのお地蔵さんを見せながら
ドラマや映画で知っている次郎長さんが大親分としての大きさ
だけでなく、もっと、深く 大きな、学のある大人物であったこと・・。
でも、 女性には・・・・。 大変、色好みであったこと・・・。
けれど、それら、全てが、次郎長さんで 彼が成し遂げた偉業も
人物も 否定されるものではない・・・こと等・・。
「えりさん、どんなに立派な人でも、嫌・・違う と思うところが
あるんですよ。
でも、その嫌と思うところも含めて、全てで、その人。
そして、その 嫌と思うところも、自分の主観ですからね・・。
それは、人物だけに限らずね・・・。
一方向からだけでものを見ないで、立派なところも、嫌なところも、
全部、いろんな角度から しっかり見るんですよ。
いろんな目で見るんですよ・・。 本質を見るんですよ・・・。 」
にこにこ笑いながら、 私の足りないところを 教えてくださった・・。
5月2日3日 お通夜とお葬式に参列させていただきました。
広い 広い 葬儀会場。
正面には、たくさんのお花に囲まれた大村さんの素敵な笑顔の遺影。
そして、両側の壁にも、全国のお仲間から贈られたお花が
扉口まで飾られていました。
参列者は、会場に入りきれず、階段の下まで続いていたそう・・。
大村さん、ありがとうございました。
ずっと、ずっと、感謝しています。