11月24日25日と、6月に続いて福島県に伺いました。
3月11日の東日本大震災から、被災地支援をさせて頂いておりますが、
その活動のひとつとして、
大親友のサウンドセラピスト・Aikaさんが、
全校生徒61名の玉川村立 須釜中学校の家庭教育学級・
教育講演会の講師として招かれ
支援活動に行くことになったので同行致しました。
玉川村は、本当に自然豊かな美しい広々とした村でした。
家屋倒壊等の震災による直接的被害は殆どなかった地域です。
ただ、それでも、何ヶ月も毎日揺れが続き、
ご存知のように、今も原発による放射能汚染は続いています。
毎日吸う空気、水道から出てくる水にも不安。
地元で取れる野菜などそこで暮らす方々の食卓には並んでいます。
普通の日常生活が放射能への不安の毎日。
子ども達も、体重が落ち、家族との会話がなくなったり、
心に大きな傷を抱えて苦しんでいる子が増えたと・・。
親の失業も増え、
精神的にも経済的にも大変厳しく辛い状況が続いています。
辛くても悲しくても、辛いと言えない・・。
辛い苦しいと言えないで、 自分だけじゃないから、
皆も頑張っているから・・と、必死で、福島で生きている方々。
私は、そんな福島の須釜中学校の皆様に、
直接行くことは出来ないけれども福島に心を寄せて、
自分達に出来ることは何でもしたいと思っている人は沢山いますよ。
ずっと思っていますよ。
ひとりじゃないですよと 私の周りの皆の声をお伝えしたい、
頑張りすぎて泣くことも出来ていない方々の心に寄り添い、抱きしめ、
傾聴し、少しでも心と体を癒して差し上げることが出来れば・・
そんな気持ちで伺いました。
24日夜、今回の講演会の役員・保護者の方々とお会いしました。
爽やかで明るい増田先生や、
始めは、すごく緊張しながらお迎えくださったお父様やお母様も
お話をずっとお聴きしていると だんだん心がほぐれてきて、
あるお父様は、仕事を失くし、
県外の友人から、うちに来てもいいよと誘ってもらった。
ただ、受け入れ先の家の広さや経済的なことを考えると
おじいちゃんおばあちゃんは連れていけなかった。
それでも放射能汚染から子どもを守りたくて
家族で相談して引越しをすることにした。
ところが、引越しの日の朝、中学2年生の娘が泣いた。
おじいちゃん、おばあちゃんを置いて行くのはいやだと・・。
それで、 引越しをやめました・・・、
と 目を真っ赤にしてお話してくださいました。
あるお母様は、お休みの日に県外のご実家に行くことにしたら、
三男さんが
「福島ナンバーの車で行ったら石を投げられると聞いたよ。
大丈夫かな・・。」と、とても心配なさったこと。
休暇を過ごし家に帰ってきたら、
それまで何も言わなかった中学生の次男さんがポソっと、
「みんな、親切だったな・・。
福島県から行っても、大丈夫だったな・・。」と言って、
この子も本当は凄く心配をしていたんだと、
とっても切なかった、とお話くださいました。
そんなお話を伺って、きっと子ども達は不安で一杯で、
すごく暗くなっているのだろう、と思い胸を痛くしながら、
25日学校に伺いました。
会場の体育館には、Aikaさんを向かえるための
先生や子ども達手作りの素敵なステージがありました。
舞台のバックには、
子ども達の素晴らしい笑顔の写真を繋いで、『笑』の文字が。
笑顔一杯の写真は、子どもたちが撮りあいをして作られたそうです。
笑顔の笑 の 両側には緑の鉢植えが並べられ
有限会社ナビの高橋憲之介さんの命を込めた舞台構成、音響効果は、
皆の席を 円くぐるりと取り囲むように何本ものスピーカーが並び
聖なる空間になっていました。
打ち合わせが終わった時、憲之介さんが その円周の一箇所で
目を閉じ、手を合わせ、静かにお祈りをなさった姿が
あまりに尊くて
思わず手を合わせました。
皆の祈りで 今日のコンサートが始まる。
リハーサルが終わり、本番。
会場に入ってきた子ども達の掛け姿は、
背筋もすっと伸び、皆、清清しい態度とまっすぐな目、
にこやかな顔で座っていて、
この現状の中、
凛々しく健気に生きている子ども達の志の高さを感じました。
Aikaさんから、何か問いかけられると、
皆、大変美しい言葉で一生懸命に自分の言葉を話そうとなさいました。
気高く、潔く、柔らかに座っている笑顔の子ども達。
この様な状況で、押し潰されそうになるでしょうに・・
家では、家族に当たってしまったりしていたとしても、
皆、周りを気遣って明るく、元気に、志高く・・・、
その姿を見ているだけで、涙がでるほど感動致しましたが、
もっとも感動したのは、コンサートの終盤です。
( 続く・・・)