6月19日、20日、
『あい☆えがお プレゼントサポータープロジェクト』でも繋がっている
熊田富美子さん (ふみちゃん)の お世話で
福島に 行って来ました。
サウンドセラピスト・Aika (アイカ)さんのコンサートを
毎年 福島で 主催なさってきた ふみちゃんの、
被災地は、本当に 逼迫・困窮しているの・・・
お金もない・・・、 物もない・・・ 人手も、何もない・・・
でも、今、福島に一番必要なのは・・・心なの。
あたたかい人の心なの。
という、 言葉に
地震、津波、原発で傷付いて、絶望している福島の皆様に、
アイカさんの歌を、 サウンドセラピーを、 届けに・・・
そして、 ひとりじゃない、みんな 応援してる、と伝えるために
18日から、福島に入っていたアイカさんと、 ライターのよーこりん
京都 成基学園代表の佐々木 喜一さん、に 合流して、
19日は、 『日本を美しくする会』 でもご活躍の
静岡の 白鳥 宏明さんと
山形の 黒沼 範子さん そして 私、 の6名。
東北人は、自然災害に対しては強いのよ。
何もなくなっても、全てを受け入れて、
前に進んでいこうとする 強さ、明るさがあるのよ。
でも・・・、福島は 原発でも 被害をうけた・・・。
ボランティアの方も 福島に来てくれる人は少ない。
日本に 見捨てられたと 思っている人も少なくないの・・・。
ふみちゃんの 言葉に
今の福島を、・・自分の心で感じたい・・
代受苦という仏教言葉があるそうですが、
世界中の人々にかわって 地震、津波 放射能の苦しみ、
悲しみを 受けてくださって
放射能汚染の恐怖と闘ってくださっている、福島の皆様の心に
少しでも、 愛を届けたい・・ 笑顔を届けたい・・
何か 少しでも 自分にできることを・・ そんな思いで・・・。
18日 午後からの、三木市保育園協会様の研修が終わってから
姫路を出て、 東京に移動しました。
夜、10時半頃、東京駅に着いたのですが・・・
駅周辺の暗さに、驚きました。 照明を落として、本当に暗い・・。
この暗さの中、 黙々と 移動なさっている関東の方々に
ありがとうございます とか 申し訳ない という 思いを
強く持ちました。
(関西の皆様、私たちも 無駄な灯りを消して、もっと節電しましょう。)
19日朝、郡山に集合してから 車でいわき市の方面に・・。
いわき市の手前、四倉のサービスエリアです。
緑の木々、芝生、 はなみずきが咲いて とても美しい所でした。
誰も近づきたくないでしょう・・ 行きませんよ・・
ぽつり と、
私たちの車を運転くださっていたふみちゃんの
お仲間の青年が、仰いました。
美しい自然に感謝。 誰もいない施設が寂しくないように、
ここまでも この後も、 海岸沿いは津波被害甚大です。
それでも、 ラーメン屋さんや、カフェが営業。
地元の方々は、 支えるためもあり 通っていらっしゃいます。
海岸沿いを走っていて、ぽつんと、 海の中に残された鳥居を見つけました。
あまりに、寂しそうで、思わず シャッターを。
車内には
子ども達の姿はなく、 大量の荷物が。
災害対策本部も、 現在、いわき市に移転。
灯りの消えた館内には、職員が お二人。
現在は、約200人が 残って、暮らしていらっしゃるそう。
震災の後の残務整理と、
いつか、原発問題が片付いて、町民が戻ってくる日の
ために、お二人は、(奥、写真に写らないところにお一人)
粛々と その準備をなさっているそうです。
写真を、というと、緊張なさいましたが、お話下さっている時は
明るく、やわらかな笑顔と 丁寧なお話を頂きました。
どうして、こんなにやわらかな笑顔でいられるのでしょう・・・
本当に 強い・・。 ありがとうございました。
灯りもなく、がらんとして、暗い。 悲しいです。
役場を出てすぐ、 計画的避難区域に向かうバスに出会いました。
マスク、 帽子・・、全身真っ白・・に包まれた、
その異様な光景を目の当たりにして、はっと しました。
ショックで 胸が痛みました。
申し訳なさに、 言葉もでませんでした。
広野町役場からの帰り、至る所に 通行止めの看板。
走っていると、 がたん、がたん と 揺れる高速道路。
通行止めも多いです。 帰りも、走っているのは私たちの車だけ。
でも、窓から見える景色は、緑豊かで、本当に美しい。
途中、あぶくま洞 の 文字を発見。
高村光太郎の詩、 『樹下のふたり 』を、 思い出し感動。
福島は、本当に美しい。
いわき市、 広野町を後にして、この後
須賀川市で開かれるチャリティコンサート会場に 向かいました。
続きは、 福島リポート2で。